Neutral football

現実の殻を破る。フットボールと社会をつなぐ

もっと文章を書こう

 

 

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常々思うのだけれど、サッカーコーチの人は、もっと積極的に発信した方がいいと思う。

今の時代、もう
「俺は俺。俺のやり方で好き勝手やっていく」
「言わなくても、話さなくてもわかってくれるだろう」は通用しない。


昔と違って、今は様々な媒体で自分のチャンネルを持てる時代。Blogでもnoteでもいいし、新たにコラムを開いたっていい。


「今日はこんなことがありました!キラキラ!」
といったような、単なる日記や報告をSNSに載せるだけとは違って、サッカーコーチであるからには「自身のスタンス」を明確にし、それを自分だけの言葉で発信するべきだ。
偽物は淘汰されていくこれからの時代、そのスキルは必須になってくると思うし、自分だけの言葉を持つ人が、必ず残っていく。


この「自分だけの言葉」を持たない人がとても多い。だから自身の経験則に基づいた指導しかできないし、何かの情報をそのまま持ってきて、それをそのまま表面上だけインプットして、そのまま使ったり。つまりそれは何も伝えていないのと同じこと。


インプットしたものを自分仕様にアップデートし、自分だけの言葉に置き換え、それを人に伝えられるようになること。
そのスキルを磨くためにも、文章を書くという習慣はとても役に立つ。


アウトプットこそ、実はインプットなんです。


書くためには「読む」ことも必要。読書も大事です。新聞を読むことも。
そこに書かれていることの裏側や真実を探ること。その想像力や妄想力が、自身の頭と心の中を豊かにしてくれる。語彙力も上がる。


指導者を名乗るなら「文章を読む習慣」や「文章を書く習慣」は、マストで持ったほうがいいです。


発信すれば、それに対しての賛否両論、何らかのリアクションがあるでしょう。そこでまた思考がブラッシュアップされるし、書く能力以上に、本意を伝える能力もまた磨かれる。


自分だけの言葉を持ち、それを伝えるスキルを上げる。そのことで、きっと指導力も上がる。薄っぺらい上辺だけで終わらず、深みが増すと思います。


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発信は、何もサッカーに限ったことだけでなくたっていい。冒頭に載せたのは、乃木坂好きが高じて書かずにはいられなかった「乃木坂コラム」だけど(笑)

こんな全くサッカーに関係ない趣味のことだって、積極的に発信したほうがいいんじゃないかな。どんな人物かを分かってもらうには、サッカーだけじゃ伝わらないし。

サッカー以外のことって、何も趣味だけではなく。

もっと大事なことは、特に社会全般のことについて、サッカー関係者はもっと積極的に意見やスタンスを明確にし、発信していくべきだと思うのです。


サッカーコーチだからサッカーしか能がない、取り柄がない、興味がない…
これでは社会人失格。子ども達や中高生に接する時間の多いサッカーコーチが、これでは困るわけです。保護者だって、そんな人物に子どもを預けたくないでしょう。


サッカーは社会のイメージリーダーになり得る。なるべき。僕は常々、そう思っています。
そのサッカー界の中で「指導者」をしていくのならば、社会の中での自身の立ち位置、在り方、スタンスを、皆さんもっと明確にしてもいいと思うのですが。


キャッチーな例としてですが
「安倍政権、支持しますか」
「沖縄の基地問題、どう思いますか」
「日本の戦争責任について、どう思いますか」
「シリア問題について、どう思いますか」
原発に賛成ですか?反対ですか?」
杉田水脈LGBT発言、どう思われますか」


と聞かれたとして
「ちょっと、僕は難しいことは分からないんで…」なんて返事をするコーチに、少なくとも僕なら、自分の子どもは絶対に預けたくない。例え自分と意見やスタンスの相違はあったとしても、自らの意見やスタンスをハッキリと語れる人ならば、僕は信用できる。
もちろん、そこに差別的思想や排他的思想、極右思想が見えたのならば、即、クラブを辞めさせるけどね。


日本や世界の歴史、今現在起きていること、社会の問題。
大人ならそれらについて関心を持ち、自身のスタンスを持ち、それを明確にするのは当たり前だと思うのだが、残念ながら、特に日本ではそうじゃない人が多いよね。現状維持を好み、大勢に準ずることを好み、波風を立てることを好まない。
でもね、せめて子どもに携わる立場にいる人ならば、それじゃダメだと思うんですよ。


海外では、俳優やアスリート達が、自身の政治的スタンスを平然と明確にするでしょう。
最近でも、ロバート・デニーロは「Fuck!Trump」と言い放ったし、ドイツ代表のエジルは、彼のルーツを理由にしたドイツでの差別的扱いについて、自身の言葉で告白・告発した。


なぜ日本では、こうならないんでしょうか。


僕はコーチである前に社会人でありたいし、社会人である以上に、ただの人でありたい。
だからこそ、必要ならば活動家にだってなるよ。
もし沖縄でこれ以上の理不尽な弾圧が続くようならば沖縄に飛んでいこうと思っているし、将来もし独立運動でも起きようものなら、沖縄に移住してでもその運動に参加したい。
もし安倍晋三憲法を改正し緊急事態要項を発動させようとするのならば、史上最低の総理大臣が表舞台から消え去るまで、潰れるまで、仲間と一緒に徹底的に抗ってやる。


人種や出生による差別、LGBTへの差別にはとことん反対する。
原発だって、全部廃炉にするべきだ。


多勢と少勢ならば少勢につくし、常に弱者の側にいたい。
もちろん一生、リベラルであり続ける。


… と、以上が僕のごく一部の一面であって、うわわ、こんな左巻きのやつに子どもを預けたくない!ともし思われるのであれば、残念だけどクラブを辞めて頂けばいいわけです。


こんなサッカーコーチ、面倒くさいですか?
実際に言われたことがあるけれど、本当に、サッカーコーチならばサッカーのことだけを考えてればいいのでしょうか。


僕は、絶対にそうは思いません。


サッカーは自由なスポーツ。だからこそ。
本当の自由の意味を伝えなきゃいけない「サッカー人」こそが、社会を担っていく、変えていくイメージリーダーになっていかなければならない。そのシンボル的存在になっていきたい。これは本気で思ってます。


だからそれぞれのスタンスはそれぞれ胸の中だけにしまっておくのではなく(スタンスがあるだけでもマシなんだけど)
皆が声に出し、表明すべきものだとも思ってます。


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ちょっと話が飛躍しすぎたのでサッカーだけの話に戻しますが


例えばその日の試合について、BlogやらSNSに「報告」を書くとして
スコアや試合経過、寸評や感想を書くだけではなく、なぜそうなったと思っているのか、その現象を生んだ理由、表には見えない、そこに隠された本当の理由や意図 … 
といったものを、自分の言葉で伝えられたら。


「あぁ、試合は負けたけど、コーチは実はこんな意図を持ってやってたのね」
とか
「こんな狙いや裏側があったのね、次はそういう視点で観てみようかしら…」
と、皆さん共通の悩みのタネである保護者の人達にも、良いメッセージとして伝わるかもしれません。


こんなことを考えている人が指導しているチームなのか、練習試合をお願いしたい!となるかもしれないし、この人に会ってみたい!となるかもしれない。


このクラブに子どもを入れたい!と思える理由を、ただの試合結果だけで判断するような保護者には来て欲しくないけれど、
こういう思いで指導しているのか、コーチはこんな「人」なのか…という理由で「子どもを預けたい」と思ってクラブの門を叩いてくれる人とは、きっと長い長いお付き合いをしていけるとも思うし。


実際にうちのクラブでは、僕が細々と続けているBlogを読んでくれた上で
「その理念に共感したので、子どもを入れたい」と言ってくれる方がとても多い。これは、とても有り難いことです。


また、Blogやコラムを読んで「今度会って下さい」「今度、練習を見学させて下さい」と、実際に会いに来て下さる指導者の方も多い。そのたびに恐縮するばかりだけど、本当に有り難い。


自身のスタンスを明確にしオープンにすることで、きっと去っていく人もいるでしょう。
でも、それ以上に「出会う人」のほうが圧倒的に多い。これは、僕の肌感覚では間違いないです。


指導者の皆さん、もっと文章を書いてみませんか?
報告でも日記でもない、自分だけのコラムを是非。

 

と、偉そうに書いてしまったので … 今後はこのコラムの更新頻度、もっと上げていきます!

(たぶん)

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