Neutral football

イメージした理想が現実を塗り替える。フットボールと社会をつなぐ

ペトロビッチの美学

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当時この記事を新聞で読んで、切り取って、財布の中にずっと入れてありました。
理想と現実との狭間で迷いそうになった時は、これ読むことにしてます。

 

ペトロビッチの美学
(2009年10月 / 朝日新聞・潮智史さんの「side change」より)

すごみすら感じた。ぞくぞくするような。25日の川崎・等々力競技場。大勝した川崎の攻撃ではない。7点を奪われた広島の戦いぶりにだ。

前半18分、足が止まったスキを突かれて失点。7分後に森脇の退場で10人に。ここから一人ひとりがギアを一段上げて果敢に攻めた。J1でも最強であろう川崎のカウンターは承知の上。

リスクを負ってDFが攻め上がり、速いパス交換から1トップの佐藤寿人を走らせてゴールに迫った。10人が11人を慌てさせた。後半6失点の数字だけを見れば、無謀な惨敗と言えるかもしれない。不利な状況を考えれば、さらなる失点は命取り。むしろ守りを固めて逆襲に徹するのが普通だ。

広島は勇気を持って攻め、何かを起こそうとした。もともと相手の鼻先でパスを回す攻撃的なスタイル。選手に無謀な攻撃という意識はない。自らのやり方を貫くことで逆転勝利の道を探ったまで。優勝争いに残るためにリスクを冒す価値がある試合であることも、守り倒すようなマネができないことも計算済みだった。

試合後、ペトロビッチ監督は穏やかな表情で選手を迎えた。
「守って0-1で負けて良かったと思うよりも、大敗した方が学べる。痛い敗戦だがこれで死ぬわけじゃない。これが我々のスタイルだ」
彼と同じように「攻撃こそサッカーなのだ」と説いたオランダのスーパースター、ヨハン・クライフは「美しく敗れることは恥ではない。守って無様に1-0で勝つことが恥であり、それはサッカーではない」と説いた。

等々力まで足を運んだ広島サポーターは選手に拍手を送った。0-7で負けてもクラブに誇りを持てるサポーターは幸せだ。

 

この記事から7年。今のペトロビッチさんは、どうなんだろう。