Neutral football

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美智子妃のことば

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皇后・美智子妃が、ある講演で読書について語った言葉を紹介します。

 

私が小学校に入る頃に戦争が始まりました。昭和16年(1941年)のことです。

四学年に進級する頃には戦況が悪くなり、生徒達はそれぞれに縁故を求め、または学校集団として、田舎に疎開していきました。
私の家では父と母が東京に残り、私は妹と弟と共に、母につられて海辺に、山に、住居を移し、三度目の疎開先で終戦を迎えました。

教科書以外にほとんど読む本のなかったこの時代に、たまに父が東京から持ってきてくれる本は、どんなに嬉しかったか。
ケストナーの「絶望」は、非常にかなしい詩でした。小さな男の子が、汗ばんだ手に1マルクを握って、パンとベーコンを買いに小走りに走っています。ふと気づくと、手のなかのお金がありません。街のショーウィンドーの灯はだんだんと消え、方々の店の戸が締まり始めます。
少年の両は、一日の仕事の疲れの中で、子供の帰りを待っています。その子が家の前まで来て、壁に顔を向け、じっと立っているのを知らずに。心配になった母親が捜しに出て、子供を見つけます。いったいどこにいたの、と尋ねられ、子供は激しく泣き出します。
「彼の苦しみは、母の愛より大きかった。二人はしょんぼりと家に入っていった」という言葉で終わっています。

この世界名作選には、この「絶望」の他にも、ロシアのソログーブという作家の「身体検査」という悲しい物語が入っています。貧しい家の子供が、学校で盗みの疑いをかけられ、ポケットや靴下、服の中まで調べられている最中に、別の所から盗難品が出てきて疑いが晴れるという物語で、この日帰宅した子供から一部始終を聞いた母親が、「何もいえないんだからね。大きくなったら、こんなことどころじゃない。この世にはいろんな事があるからね」と説く言葉がつけ加えられています。

思い出すと、戦争中にはとかく人々の志気を高めようと、勇ましい話が多かったように思うのですが、そうした中でこの文庫の編集者が、「絶望」やこの「身体検査」のような話を、何故ここに選んで載せたのか興味深いことです。

世界情勢の不安定であった1930年代、40年代に、子供達のために、広く世界の文学を読ませたいと願った編集者があったことは、当時これらの本を手にすることの出来た日本の子供達にとり、幸いなことでした。
この本を作った人々は、子供達が、まず美しいものにふれ、又、人間の悲しみ喜びに深く触れつつ、さまざまに物を思って過ごしてほしいと願ってくれたのでしょう。

当時私はまだ幼く、こうした編集者の願いを、どれだけ十分に受けとめていたかは分かりません。しかしえ、少なくとも、国が戦っていたあの暗い日々の最中に、これらの本は国境による区別なく、人々の生きる姿そのものを私に垣間見させ、自分とは異なる環境下にある人々に対する想像を引き起こしてくれました。

自分とは比較にならぬ多くの苦しみ、悲しみを経ている子供達の存在を思いますと、私は、自分の恵まれ、保護されていた子供時代に、なお悲しみはあったということを控えるべきかもしれません。しかしどのような生にも悲しみはあり、一人一人の子供の涙には、それなりの重さがあります。私が、自分の小さな悲しみの中で、本の中に喜びを見出せたことは恩恵でした。

そして最後にもう一つ、本への感謝を込めてつけ加えます。読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても。


朝日新聞出版・高橋源一郎
『 丘の上のバカ 〜 ぼくらの民主主義なんだぜ 2 』より

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