Daisuke Kubota 〜 Neutral football

Footballで社会をつなぐ。現実の殻を破る。日常を笑い飛ばそう

枝を切るならその責任を持て

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こんなちっちゃな盆栽を、ここからどう育てていくか。

 

サッカー専門サイト フットボールエッジ にコラムを連載させてもらってます。

その最新コラムが、アップされました。

トレセンや8人制サッカーで垣間見える、指導者の“余裕のなさ”のはなし【久保田コラム】 | FootballEDGE

 

ゆとりのない指導者が、この国のサッカーの成長を妨げる一番の弊害になっていること。今回はそんな思いを書かせてもらってます。

その原文、ここに載っけときます。

 

つい最近『◯◯トレセン』というチームがたくさん集まる大会(小5)を間近でたっぷり観る機会があった。主審も2試合させてもらって。

トレセンというくらいだから各地域の能力ある子が選抜されて来てるわけで、ならばその能力の『定義』って何なのさという話になるのだけれど、小5の段階で能力の優劣を判断するとしたらそれはどういう基準でなされているのか、また率いる指導者は、試合の場でその『能力ある子達』に何を求めてるのかなど、自分なりに興味深く観てました。

簡単に言えば、各地域の指導者が持つ基準、そして質が、よく表れていたなと。
ピッチ上で見られた、その基準や質。それはそのまま現在の日本における少年サッカーの問題点を如実に表しているのではと、僕は試合を観ながら(指導者の声を聴きながら)感じていた。

ひとことで言えば。余裕がない。選手にも指導者にも。

ゲームがせわしない。リズムの抑揚がなく、常に一本調子で無駄に速い往復サッカーが続く。ミスをしないようにしないように、ボールを失わないように、より安全に。だからまずは広い場所へ!まずはサイドのスペースへ!そして最後はスピードスターに決めさせる。あとは相手のミス待ち。そんなサッカーが多く見られた。

ボールがない時の駆け引きや狙いを持った動き出しも、まるで見られない。全てボールを持ってからヨーイドンで何かが始まる、一か八かの「一発勝負」ばかり。パスもドリブルも。

トレセンなのに、能力高い選手が集まってるはずなのに、化け物みたいな選手や凄ぇ!っていう選手は、とうとう一人も見つけられなかった。
だから主審をしていても、騙されることがないんですよ。いい意味で裏切られることがない。次のプレーがほぼ100%予測できるから、ポジショニングが楽。もっと、こちらの予測や想像を上回る選手がいてもいいと思うのだけれど。

なぜ、こうなってしまうのか。本当ならば一番自由度が高くていいはずのジュニア年代。その自由さ、突飛な発想、突き抜けた個性がまるで姿を消してしまうのはなぜなのか。

答えは簡単。指導者の質に尽きる。

上述したトレセン大会はあくまでも一つの例だが、それ以外の普段グラスルーツで行われているジュニア年代のあらゆる試合を観ても、とにかく感じるのが『8人制』のせわしなさ。

一つのミスが即・失点につながりやすく、まずはサイド、というサイド偏重攻撃ばかりで最後は一人のスピードスターで何とかなってしまう8人制。目先の試合に追われ、8人制に勝つにはこう、負けないようにするにはこう、という手っ取り早い方法ばかりに目を眩まされ、子供達が身につけるべきものを失わせている指導者が非常に多い。

ジュニア年代に蔓延る『中より外、狭より広、緩より強、遅より早』ワールド。
中央は悪、狭いのなんてもってのほか、とにかく強く!速く! ばかりで。

そんなに急がせてばかりで、この子達をどうさせたいのか。
初めからそんなに危機回避ばかりさせて、数年後、この子達にどうなってほしいのか。

効率よく、危機回避。多くの人にとってはこれが最大の目的だから、攻撃時はまず相手がいない、安全な場所ばかりを選ばせる。中央でボールを受けると、ファーストタッチで半自動的に必ず外を向く選手が、最近は本当に多い。いやいや、今、相手センターバックの間が空いてるやん、というシーンが多々あるのに。

相手がいない安全な場所。実はそこは『相手にとっても安全な場所』ということに、指導者自身が気づいていない。「お前にとって安全ってことは、相手から見ても、お前は安全な選手ってことだかんな」と、本来ならば言ってあげなければいけないはず。

自分のことをマークしている相手のそばで受けて、足元でその相手を剥がせばそれが最大のフリー。その自信があるのなら、例え相手が最初からそばにいたって元来フリーなはず。
ボールを受ける時、相手が「あ、奪える」と思って寄せてくる、足を出してくる、その足のわずか先にコントロール出来るのが本当の技術だし、その足のわずか先を抜けていけるのが本当のドリブル。
自由にできれば、どこでもフリーなんですよ。川崎フロンターレの風間監督も、フロンターレの選手達に対し同じようなことを言っている。

そんなギリギリの駆け引きや技術の斬り合い、相手との間合いを感じながら味方とタイミングを合わせてリズムを変えていく。そんな判断を繰り返していくチャレンジを、ゲームの中でもっと練習させてあげましょうよ。まずは無駄なく!手っ取り早く!効率よく!危機回避!なんて大人のバイアスを、子ども達にかけないでほしい。

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練習試合の相手を募集するマッチングサイトなどでの投稿を見ても、
「市大会を控えているので8人制でお願いします」
「県大会を控えているので11人制でお願いします」
というのをよく見かける。

公式戦を控えてるから◯人制… 基準はそこなんでしょか。

今、こういう技術を身につけさせたいから8人制をどうしてもやりたい
今はこういう練習をしたいから、あえて11人制でやりたい
8人制の公式戦を控えてはいるけれど、今はそこに重きをおかず、それ以上にこういう練習がしたいから、9人制でやりたい

本来ならばこういった基準で、試合のレギュレーションを決めていくべきなのでは?
「市大会を控えているので8人制で〜」
多くの指導者が何にプライオリティを置いているのか、この一文だけでよくわかる。

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子供の頃から、効率よく、無駄なく、無茶をさせず…みたいなことを教育することが、本当に正しいんでしょうか。もっと好奇心もたせて、無茶をさせて、チャレンジさせて、冒険させて。その中から、子ども達が自分なりの正しさや自分なりの流儀、やり方みたいなものを見つけていく。これは子どもに許された特権だと思うのだけれど、サッカーではそれすら許されないのだろうか。

教育しよう、教えなければいけない、勝たなければいけない、という大人の余計なお節介によって、結果として、子ども達から本当に大切なものを失わせてはいないだろうか。
僕らは目の前の選手達の数年後に触れている。その視点を持って指導している人が、一体どれくらいいるんだろう。

自分が尊敬する岩谷篤人氏が、以前、育成を盆栽に例えて話をしてくれたことがある。

『枝を切って切って、自分のいいように修正して、こじんまりとした盆栽を作って満足してないか。自分の作品です〜、とか言うて』
『あの枝を切らなかったら、どういう育ち方をしていたんだろう、と。
枝を切るなら、切る責任を持たなアカン』

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みんな長生きしたい。でもだからって、ただただ健康に気を使って、本当に食べたいものを我慢して節制し、味気ない毎日を過ごすのか
みんなお金が欲しい。大金持ちになりたい。だからって、金を稼げるならば手段を選ばず、どんな方法でもいいのか
寒さをしのぐためなら服を何枚も重ね着すればいい。でも、どうせ服を着るなら、自分のセンスでオシャレに着こなしたいじゃないですか。
空腹をしのぐためならただただ白飯を食えばいい。でもそれだけじゃ栄養が取れないから野菜をとるし、それだけじゃ味気ないから、いろんなおかずを食べる。彩りにも気を使う。

みんな勝ちたい。でも…
この後に続く言葉を、指導者が自分だけの言葉で表現すべきなのだろうと僕は思う。

それは、生き方をサッカーを通じて伝えることにもつながる。子ども達がそれぞれの生き方を自分で見つけ、そこに自分なりの彩りをつけていく。そのきっかけがサッカーだった。最初に出会ったコーチだった。本当の指導者は、それができる人なのだと。

 

ジュニア年代の指導者の方々、もう少し、のんびりやりません?