Neutral football

イメージした理想が現実を塗り替える。フットボールと社会をつなぐ

言葉は言葉を呼んで、翼を持って、この部屋を飛び回ったんです

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1969年、三島由紀夫が自決する1年前。三島がひとりで東大駒場キャンパスに乗り込んで、東大全共闘の学生達1000人と対峙したという伝説の討論会が、映画になったらしい。
(3月20日公開)

そこで、改めて三島由紀夫に興味を持った。

 

この討論会を昔のニュース23が特集した放送を文字に起こした記事もあるので、ぜひ読んでほしいと思います。

note.com

 

美しい。僕は素直にそう思った。動画を観た後に文字を読むと、そこで交わされていた言霊の応酬が、なおさら美しいと感じたのです。

 

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三島由紀夫が抱き、掲げ、最期は命をかけてまで成し遂げようとしたその思想と僕の考えは真逆のものだけれど、それでも、この人の言うことは、絶対に信用できる。


三島は本物の哲学者であり思想家であり、活動家だった。

三島の話す姿、その言葉、表現方法、生き様。これは絶対に信用できるものだ。

 

この人の話なら、いつまでも聴いていたい。

聞きたいんじゃない。聴いていたい。


そう思わせてくれるほど、三島が紡ぎ出す言葉の美しさと丁寧さ、そして危険さ。

 

東大全共闘の学生達との討論も、学生達を罵るわけでもなく、上から目線でもなく、学生達をリスペクトしながら話す三島の姿は本当に美しく、立派で、尊敬すべき姿だった。

 

「私はどうしても日本の知識人というものが、思想というものに力があって、知識というものに力があって、それだけで人間の上に君臨しているという形が嫌いで嫌いでたまらなかった」

 

全学連の諸君がやったことの全部は肯定しないけれども、ある日本の大正教養主義からきたの知識人のうぬぼれというものの鼻を叩き割ったという功績は、絶対に認めます」

 

これ言われたら、たとえ意見がぶつかり合う同士でも、間違いなく心は惹かれてしまうよね。

現にこの討論会の後、東大全共闘の学生達の間で三島ファンが増えたそう。

 

三島と対峙した、東大全共闘の中でも屈指の論客と言われた芥正彦。

 

三島と芥、この天才同士が交わす言葉は正直言って僕ら凡人にはついていけないほどに抽象性と具体性が織りなす高レベルな議論なのだけれど、ヒリヒリする緊張感の中で、お互いがお互いを尊重しながら交わす言霊。聴いていて、つい惹き込まれてしまうのは僕だけじゃないはずだ。

 

その芥正彦氏がこの日を思い出しながら話す三島の印象が、また美しい。

「まるでアンドロメダが見えそうなくらい、空虚な目をぎっとこっちに向けて、一瞬か二瞬くらいですよね。なんでこんなに緊張しているんだっていう、今にも殺されそうな」

 

かつてぶつかり合った人のことを表現するのに「アンドロメダが⋯」なんて

年老いても、美しい感性は変わらないものなんですね。

 

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討論会の最後、三島が学生達に向けて話した言葉。

「言葉は言葉を呼んで、翼を持って、この部屋を飛び回ったんです。この言霊がどこかにどんな風に残るか知りませんが、その言葉を、言霊を、とにかくここに残して私は去っていきます。これは問題提起に過ぎない」

 

「私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。他のものは一切信じないとしても、これだけは信じるということを分かっていただきたい」

 

カッコよすぎないか?

 

芥正彦氏も「対決を装いながら、一つの親和性をもって対話できた」と振り返る。

 

今はSNSなどでお互いを罵倒し合い、議論でもない、対話でもない、ただの人格の否定にまで持ち込んで、とにかく相手をやっつけようとする。そんな悲しい世相になってしまった。

0か100か、論破するか、はぐらかすか、みたいな空虚な殴り合い。議論も対話もできない日本人の成れの果てが、今まさに分断を起こしている。

 

「大変愉快な経験であった」(三島由紀夫

「人間が人間を考える最後の時代だった」(芥正彦)

 

この一年後、三島は自衛隊市谷駐屯地に乗り込み、自衛隊員にクーデター蜂起を呼びかけるも叶わず、その場で切腹をし、介添した森田必勝により首を斬り落とされて死ぬ。

いろんな文献を読めば、クーデターを成功しようが失敗しようが、最初から自決するつもりでいたらしいのだけれど。

 

胴体から斬り落とされた三島の首から上だけの写真を、僕は子供の頃に見たことがある。たぶんフライデーか何か。あの衝撃は今でも強烈に残っている。

なぜかとても、穏やかな表情だった。きっと、無念よりも嬉しさがあったのだろうか。

 

そこまでして三島が願っていた、日本のあるべき姿。

それは僕には想像もつかないしそこは絶対に同意はできない思想なのだけれど、それでも、この人にはやっぱり生き続けてほしかった。

もし今も生きていたら、きっと「安倍など親米の似非保守。国賊だ」なんて言って、叩き切っていたんじゃないかな。

もちろん、安倍などは三島の相手にもならないほどに、小物すぎるのだけれど。

 

三島由紀夫

今の時代にこそ、生きていてほしかった人なのに。

 

「三島さんは、自分の運命を決定しなきゃいけないみたいなものがあった」(芥正彦)

 

あぁでも、やっぱり生きていなくてよかったと思う。生きていたら、絶対に心酔して陶酔して、なんなら三島の運動に参加してしまうほどだったかもしれない。

そしたら自分の人生が大きく変わってしまうじゃないか。

 

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