Neutral football

イメージした理想が現実を塗り替える。フットボールと社会をつなぐ

ある青年の答辞 〜 自由であること

福岡県糸島に移住したアミーゴの有坂さんから、つい最近、ある青年のことを紹介されました。

8年前、その青年が高校の卒業式で卒業生代表として答辞を読んだ時の、その答辞全文と、壇上では話されることのなかった「付け足し」です。

 

その時の、有坂氏のブログ

blog.canpan.info

自由であること。それは心が自由でなければいけない。

彼がそう思えるようになったのは、きっとその高校のサッカー部でサッカーをして、魅力的な仲間と共に過ごして、そして何より、すぐそばには 自由な「有坂コーチ」がいたからこそ、その感性に辿り着いたんだなと、彼の答辞を読んで納得しました。

長文ですが、是非多くの人に読んでほしいです。
そして今僕が関わっている選手達にも、彼のような
「自由の意味を知る、本当に自由で強い」18歳になってほしいと思います。

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答辞全文 + 付け足し

春の風を感じるようになりました。
100年に1度の不景気と言われる世の中でも、 例年と同じように卒業の季節がやってきました。

僕らが入学した頃は、 新校舎の建築のためプレハブ校舎でした。
このプレハブは少しの地震でも大きな揺れがくるのが難点でしたが、
教室や廊下は広く、ロッカーも廊下にあり、 エアコンも自由に使えて、僕は大好きな校舎でした。

そんな校舎からスタートした学校生活は、緊張の連続だったことを覚えています。
みんなと打ち解けるまでの期間は恐ろしいほど長く感じましたが、打ち解けてからの今までは、あっという間の出来事のように思います。

石神井での思い出は
ここにいる人数分以上あると思いますが、僕の場合は部活なしでは語れません。
話題の中心も、悩みの中心も、問題の中心も、喜びの中心も、笑いの中心も、
常に中心には部活の存在がありました。
これぞまさに、苦楽を共にした一生の友と言えます。

このように僕自身、部活を中心に考え、優先させていたばかりに、行事などではみんなにたくさん迷惑をかけてしまいました。 すみませんでした。
特に体育祭の時の話し合いは、体育祭の幹部もこっちも熱い思いを持ってのものだったのでよく覚えています。

このように体育祭だけでなく
さまざまな場面で3年間たくさんの人たちと関わってきて、みんなの真剣に取り組んでいる姿はかっこよかったです。 部活の時間だけでなく、自ら進んで練習やトレーニングをしている所など見ると、自分もとても刺激を受けることができました。

石神井高校を選んだ理由はみんないろいろあると思います。
私服の高校だから、自由な校風だから、自分のやりたい部活があったから、行事が盛んだから、家が近いからなど、たくさんあると思います。
しかし最初の理由は違えど、一緒に生活していくうちに 共通の目標ができたり、
同じ楽しみができ、少しずつ一体感が生まれていくのが僕は好きでした。

少し話は変わりますが、
僕は中学の時も答辞というものをやらさせてもらって、 その時はこう話してる最中に泣いてしまったのですが、今ここで泣いていないのは3年間のちょっとした成長かなと思います。

またこのことだけでなく、石神井での3年間は、自分の変化や成長を感じることのできる3年間でした。
必ず全員3年前と今とで、変化を感じることができると思います。

僕はその変化として、世の中への疑問や矛盾を感じるようになったと思います。

今この場でも
目に見えない強制、圧力というものがあると思います。
これから僕らが出て行く社会は、今ここで感じることのできる疑問や矛盾、不正、そのようなものがたくさんあるのかもしれません。

ただ僕は、疑問、矛盾、不正を感じた時、それを変えていくことすら制限されていく社会は嫌です。 これは、国や都道府県単位だけでなく、学校という社会においてもです。

学校の主役は生徒です。

生徒が学校を動かせないのはもってのほかですが、先生たちの意見が反映されないのももってのほかだと思います。 生きている学校を動かせるのは生徒であり、それを支えるのが先生だと思います。

石神井の生徒は
いい意味でも悪い意味でもかなりアクティブな集団だと思います。

ここで後輩たちに伝えたいのは、行事、部活、日々の学校生活で何かに気づき、何かを感じたら、声に出し、自分たちの思いを形にして、みんなが幸せを感じれるようにしていってほしいということです。

そのために、教科書なんかには載っていない、もっと大事なことをたくさん学んでほしいと思います。

何かを知るということは、心と体を動かす大きな一歩だと思います。

もうひとつ後輩たちに伝えたいことがあります。
おそらく毎年の答辞で言っていると思いますが、改めて自由の本当の意味を考えて行動してほしいです。
自由というのは、たとえそこに自由があっても、その人の心が自由でなければそれは自由ではありません。 そして、自由を背負う覚悟と責任が必要です。

これからの石神井から自由な心の持ち主が、たくさん巣立っていけることを願っています。

また、60年以上の間先輩たちが作ってきた石神井の貴重な自由の伝統の意義を考え、継承していってほしいと思います。

最後になりましたが、このような会場を作ってくれた後輩、先生、主事さん、そして本日会場に足を運んでくださった保護者の方をはじめとする多くの方々、ありがとうございます。
僕らはここにいる仲間たちで、これからも支え合いながら歩んでいきます。

この答辞を終える前に、一つ付け足します。
卒業式では、僕が言いたくても言えないことがありました。
なのでここで言えなかったことは、少しですがこれの続きに書いておきました。

僕を成長させてくれた石神井高校に、
そしてこのような表現しかできませんでしたが、 勇気を与え、後押しをしてくれた仲間に感謝しています。 ありがとうございます。

未熟な文章でしたが、 最後まで聴いていただきありがとうございました。

2009年3月7日 卒業生代表 “ ike ”


・つけたし・

高校生活最後のこの日に、残念ながら自由を感じることはできませんでした。

もしこれから石神井高校がこの大きな壁に挑むときは充分な準備をし、多くの人の意見を集めて声に出し、行動してほしいと思います。

必ずその声は何かを変えてくれます。こんな表現しかできなくてごめんなさい。

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以前、国際高校でコーチをしていた時、卒業式に乙武洋匡さんが「教育委員会代表」で来賓として来てくれたことがありました。教育委員会代表として決められたテンプレートを淡々と読み上げた後、原稿を捨て「さぁ、今から本音を話すよ!」と笑顔で言い放ち、生徒から喝采を浴びたことがあったんですよ。

色々な話をしてくれたけど、
「自由なマインドを持った君達のような存在が、社会の壁を越え、変えていくんだ」という乙武さんの言葉が、一番印象に残ってる。
彼の答辞を読んで、久しぶりにあの時のことを思い出してしまった。

この答辞から8年経った「今の彼」と、近々会うことになりました。
楽しみ!