Neutral football

イメージした理想が現実を塗り替える。フットボールと社会をつなぐ

少しは考えましょう

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僕はサッカーコーチです。だからいつもサッカーのことを考えてる。

でもその反面、サッカーのことだけを考えてるわけには、決していかない。

どういう指導をすべきとか、戦術とか、技術とか…を考えることはもちろん大事だけど、
でも指導者としてという以前に、子ども達のそばにいる大人として子ども達のことを本気で想うならば、彼らが将来大人になった時にどんな社会になっているのか、どういう社会にしていくべきなのかを、僕らはもっと日常から真剣に本気で考えるべきだと思う。

政治や社会問題に関心がない指導者は、間違いなく指導者失格だと思う。
今回はそんなコラムです。

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【 日本すげぇ!の恥ずかしさ 】

最近やたらと見かけるのが、何でもすぐに「国籍で価値観を図る」人。

「これだから韓国は、中国は…」などと汚い言葉を吐き、その言葉の裏には「日本の方が優れている」という虚栄心が隠れてる。隠すどころか、それを恥ずかしげもなくそのまま口にする人も、最近は多くなっているけどね。

大ヒット映画『 君の名は。』を観て、僕がその感想をFacebookに投稿した時のこと。その投稿に対して「やっぱり日本人は凄い!」ってコメントをして来た人がいた。
映画を観てそういう発想が真っ先に来る貧相な感覚と、そして嬉しそうに人のSNSに土足でコメントしてくる無礼な感覚にガッカリ。愚かすぎる。作品を冒涜してるよ。

あくまでも作品が素晴らしいのだし、新海誠監督のチームが素晴らしかったわけで。素晴らしい作品への評価や感想を、なぜ「国」という価値観でしか表せないんだろうか。指導者そして教育者でもあるのにその程度の発想の狭さかよ、可哀想だなと思って「国籍は関係ないと思いますけど」と返信したら、その後は返事なかった。
まぁ、そんな程度なんだろう。


先日、ある事情で日本に来て働いてる中国人の青年に会った。彼、めちゃめちゃ真面目に日本語勉強してましたよ。

彼「こっちが、ミギ?…こっちはシダリ…?」
僕「うぅん、ヒ・ダ・リ」
彼「おぉ、ヒダリ…!」なんて。

まだ日本に来てひと月しか経ってないそうなのに、つかえながらでも、片言の日本語でたくさん話しかけてくれた。1時間程度しか一緒にいなかったけれど、僕は彼のファンになった。
日本人だからとか、中国人だからとかじゃない。人間同士として、男同士として、彼のファンになっただけのことだ。

最近はコンビニなどでも韓国や中国をはじめ東南アジアからの留学生がたくさんバイトしてる。彼ら彼女ら、一生懸命働いてるでしょ?レジで彼らに当たった時、応対が少しぎこちなかったとしても、普通許せるでしょ。少しの時間ロスしたって、全然待てるよね。

あんなに真面目に一生懸命働いてる彼ら彼女らを目の前にしたとしても、普段から他国をヘイトしたり嘲笑したりしてる「日本だけが大好き」な人達(SNSなどにそういう投稿してる指導者や教員の人、結構いるよねぇ)が、レジの前で「チっ」って舌打ちし、イラついて彼らに突っかかる人がいるという。そういう行為や思考自体が、自分の価値を貶めていることに早く気づけるといいね。

 

 

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今年の3月まで、僕は都立国際高校という高校のサッカー部で11年間、コーチをしていた。
この学校は帰国子女がとても多い学校で、韓国、北朝鮮、中国、アメリカ、その他…何カ国もの国籍の生徒達がいる。隣の席には普通に外国籍の子が座ってる。
心の狭い大人が口を出す隙なんて、1ミクロンもない。

この学校の3年前の卒業式に、乙武洋匡氏が来賓として来た。その時に乙武さんが話してくれた言葉が、とても印象的だった。
「この舞台の上に、卒業生の皆さんの国の国旗が並べられてるけど、決して日の丸がドーンと真ん中にないのがいい。あくまでも、数ある国旗の中の一つとして、さりげなく並べられてるのが、素晴らしいですね」と。

そういうことですよね。僕らは国という価値観の中で縛られて生きてるわけではなくて、あくまでも人間同士として生きてるんだから。

この学校では良いこともそうでないこともたくさんあったけれど、でも、僕はこの学校の生徒達をずっと見てきて、大切なことをたくさん学んだ。

しかし。
社会にはまだまだ、卑屈で卑怯な大人が腐るほどいる。

安倍晋三自民党を支持し(別にそれは自由だからいいけど)
でも…
それらが繰り出す愚行も差別も何でも盲目的に全て擁護し、原発は賛成、放射能被害なんて一切ないと反対派を罵倒し嘲笑し、南京大虐殺慰安婦問題もなかったことにして、あれは侵略ではない、日本は悪くない、いいこともたくさんしたんだと歴史を捻じ曲げ、他国を差別し、罵詈雑言を浴びせ、沖縄の人達の歴史も気持ちも踏み躙る。そんな自称「愛国者」達を、僕はとても軽蔑してる。

 

そういう人達って、つまり『寄らば大樹の陰』『虎の威を借る狐』ってことなんだと思う。

彼らは虚栄心だけは強いんだけど、それを自分で証明できない。だから国、権威、権力といった【虎の威】を借りなければ、自らの虚栄心どころか自尊心すら保てない。

だから常に強い側、権力側にいたい、勝ち馬に乗っていたいという言動になり、反対側にいる者達を嘲笑し、冷笑し、罵倒するという発想や言動になるんだろうなと、僕の中では勝手に結論づけてます。哀れで可哀想な人達なんだなって。

でも最後に権力側に利用されるのは、結局はこういう人達なんだよね。それは歴史が証明してる。歴史から学べない愚かさに、早く気づけるといいね。

 

仲間いなけりゃドキドキ

仲間探せばニコニコ

急に強気でオラオラ

BOØWY / London Game)

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ところで沖縄の高江で繰り広げられている、米軍のヘリパッド建設反対運動。これ、なぜほとんど報道されないの?
そしてここでも彼らは安倍様、アメリカ様と尻を振る。抗議している反対派を、中国の手先だと罵倒しながら。そうまでして強い側にい続けたいんだねと、やっぱり可哀想になってくる。

そんな中で起こった、大阪府警から派遣された機動隊員による「土人」発言。
案の定、それを擁護するネトウヨ達。反対派の言動が酷かったから仕方ない、という彼らの理屈。
公権力を要する権力側の警官と市民を同列に扱って論じてる時点でナンセンスだし、相当に頭が悪い。逮捕もできる力を持つ公権力側が、目の前の市民に向かって公然と差別用語を吐いてぶつけたという事実の重大さは、もっと語られていいと思うけどな。

 

しかし…それを思いきり擁護する、大阪府知事。この上司にしてあの部下あり。 

 

そしてそれをまた擁護する、沖縄担当大臣。

www.huffingtonpost.jp

 

そしてそんな大臣をも擁護する、安倍政権。
鶴保大臣「土人は差別ではない」発言「謝罪必要なし」を閣議決定

さすが安倍政権。つまり政権として差別発言を容認したと同じこと。そしてその首領である安倍総理は、これまで差別的発言を繰り返してきたドナルド・トランプがアメリカ大統領選に当選したらすぐに、外国首脳として一番初めに真っ先に会いに行った。まだオバマ氏が任期中だからそれは控えてくれとオバマ政権側から要望されたにもかかわらず、次期大統領に簡単に尻尾を振って会いに行く尻軽さ、浅はかさ、オバマ現大統領への無礼さ。
トランプ氏に、自分と同じ匂いでも感じたのだろうか。

matome.naver.jp

各国の首脳はまだほとんどトランプに会っていない。当然だろう。オバマ「現」大統領に失礼だ。そしてこれまで差別発言を繰り返してきたトランプと笑顔で握手をすることがどういうことか、世界にどう発信されてどういう印象を与えるかを、安倍とそれを支持する者達だけが、まるで分かっていない。世界中の笑い者だということに、早く気づけるといいね。

bylines.news.yahoo.co.jp

自身の出身大学の現役学生や教授から「恥」呼ばわりされるほどに軽薄な現・総理大臣。
そんな総理のもと、先日、南スーダン自衛隊が派遣された。派遣の日の映像見たけど、これいつの時代の映像だよ、って一瞬目を疑った。妻や子どもが泣いて別れを惜しむ「出征」そのものだったじゃないか。

toyokeizai.net

きっと南スーダン自衛隊員が犠牲になった時、安倍晋三はここぞとばかりに憲法改正の声を上げるのだろう。そんな卑屈な手に国民が騙されるとしたら、もう日本もおしまいだよ。
政権の犬と化した今の地上波メディアを信じ切ってしまう人がまだまだ多いから、その心配は尽きないけれど。みんな、早く気づいてください。

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最後に、作家の村上春樹氏がイスラエルの要人の前でメンチを切って披露した有名な「壁と卵」のスピーチ全文を、ここに載っけておきます。

 

【 常に弱者の側に 】『村上春樹「壁と卵」スピーチ全文』

kakiokosi.com

 

ずっと、どんな時でも。卵の側でいられる大人でありたい。

サッカーは自由なスポーツだということを理解していない指導者は、指導者失格だ。

常に壁の側に立ち、誰かを差別し、虎の威を借る狐のような人物が、指導者を名乗っている。教員を名乗っている。そんな指導者が自由なサッカーの楽しさを伝えられるわけがないし、それ以前にサッカーを教えてはいけないし、そんな教員が、子どもに関わってはいけないと思う。

しかしとても残念なことだけれど、僕はそういう人を何人も知っている。遠くにも、近くにも。
本人はその自覚すらないのだろうし、正しいと思い込んでいるのだろう。歴史から学ぶことを思い出してほしいけれど、その歴史すら、なかったことにしたいような人達だからなぁ。
痛い目に遭ってから気づくことに、ならなければいいね。

そんな人達と僕ら側とでは、この先も一生、平行線が続くのかもしれない。それも仕方ない。

もっと残念なのは、そういう人達がいるということや、社会全般のことに対して、まるで関心を示さない「無関心なサッカーバカ」の指導者が、とても多いということだ。

どんな社会にして子ども達に託し引き渡すのかは、今の大人である僕らの責任。
「サッカー以外の難しいことはよく分からないから、そういうのは政治家や役所任せで僕は知りませーん」なんて、もう通用しないんだよ。