Daisuke Kubota 〜 Neutral football

Footballで社会をつなぐ。現実の殻を破る。日常を笑い飛ばそう

幸せとは、この世界の片隅でほんの少しの居場所を見つけること

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前回のコラムで『この世界の片隅に』がどれだけ素晴らしい作品か、を書きました。

 

neutralfootball.hatenablog.com

 

同じ映画館に、すでに3回も観に行ってしまった。

年内には必ず広島に行こうと思ってる。それほど、この作品の素晴らしさとすずさんの愛おしさに、完全に心を奪われてしまった。

あまりにも素晴らしすぎて、それをどう上手に表現すればいいのか、その術が未だになかなか見つからない。なので人に薦める時には「とにかく観て!本当に良いから!」などと、陳腐な勧め文句になってしまっている自分が情けなくなってきてしまうのけれど…


だから今回のコラムでも、感じたままを、ほとんど自分の独り言のように並べただけになってしまってます。
なのでこれを読んだ皆さんはそのぶん想像をたくさん膨らませて、そしてぜひ映画館に足を運んで、この素晴らしくて美しくて愛おしい作品に会いに行ってほしいと思うのです。

konosekai.jp

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冒頭に流れる主題歌『 悲しくてやりきれない 』

この映画に出てくる登場人物のほとんどが、この曲の歌詞にあるような「悲しくてやりきれない」気持ちを表に出さず、明るく普通に生きている。
この曲を主題歌にしたのは、表に出さない(出せない)その悲しみを、代弁してあげるためなんじゃないか。僕はそう推測しているのだけれど。


すずさんの口癖「ありゃー」「弱ったねぇ」「困ったねぇ」

何か困ったことがあって、観ているこっちが心配してしまうところを、すずさんが苦笑いしながらほんわかつぶやく「ありゃー」「弱ったねぇ」「困ったねぇ」で、僕らがほんわか安心してしまう。
きっと周りの人達をも、すずさんはこの言葉でいつも安心させていたのだろう。
でも本当は…
悲しくてやりきれなかった、のかも。そのやりきれない心情が伝ってくるからこそ、僕らはすずさんにこれほど感情移入してしまうのだと思う。


幼い頃、すずさんと周作はどこで出会っていたのか。僕は最後に「あぁっ…!」とようやく気づいた。勘の鋭い人は、もっと前に気づいていたのだろうけど。
3回目を観て、ようやくもっと前に分かった。キャラメルの匂い…


子供の頃、おばあちゃんの家で寝転び天井を見ながら呟いた
「色々あるが、子供でいるのも悪くはない」
しかし
子供のままでいたかったすずさんなのに、流されるまま、いつの間にか大人にさせられてしまった。
そして大人になったすずさんは、戦争によって、大切な人やものをたくさん失う。
何を失くしたのかを具体的に書いてしまうとネタバレになってしまうから書かないけれど、それでもすずさんは、この世界の片隅で、毎日を普通に生きていこうとする。
「悲しくてやりきれない」気持ちを、表に出さずに。

 

物語の最後のほう、病に伏す妹・すみを見舞い、すみの横に寝転び一緒に天井を眺めながら、死んだ兄を思い返すシーン。子供の頃、おばあちゃんの家で一緒に寝転んだあの時に戻ったかのよう。このシーン、喋り方も子供の頃に戻ってる。すみといる時は、子供に戻れる時間だったのだろう。個人的には、ここが一番せつなくてつらかった。

兄にも、そのお嫁さんにも、最後に会える(よく観てればわかる)
この部分はファンタジーだけど、きっとすずさんには見えた。そう思うと、何だか嬉しい。

 


このNHKの特集でもわかるように、ディテールな描写にこだわり抜いた片渕監督の執念、作品に対する愛、そして、きっとすずさんみたいな人が多くいたであろう、あの時代を生きていた人達への敬意が、見事に描かれている。

だからこそ「感動した」というより、今はただ、ただただ愛おしい。すずさんだけでなく、登場人物全てが本当に愛おしく思えて仕方ないのだ。

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まな板をバイオリンに見立て、楽しそうに料理をするすずさん。食糧難の中でも、工夫しながら毎日を少しでも楽しく「普通に」生きていこうとしているけなげさと、強さ。
本当に愛おしい。

僕の今の待ち受けはこれ。だから毎日がとっても平和に過ごせている。何か困ったことやムカつくことがあっても、ひと息ついて「弱ったねぇ」と口ずさめば、たいてい解決してしまうものだ。
この画像だけでなくとも、すずさんの画像を見るたび、いや、思い出すたびに「すずさんロス」状態に陥ってしまう。すぐにでもまた観に行きたい。今すぐにでも、すずさんに会いに行きたい。


そう、また観に行きたいというよりも「また会いに行きたい」と、心から思わせる作品なんです。

 

哲が最後に言い残していった言葉
「すず、お前だけは、この世界でまともでおってくれ。普通でおってくれ」

傷心のすずが広島の実家に帰る日の朝、義姉も優しくすずに言う。
「すずさんの居場所はここでもいいし、自分で決めたらえぇ」

 

例え世界の片隅でも「あなたの居場所はここでいいんだよ」って言ってくれる人がいること。何もなくていい、何かができなくてもいい。この世界の片隅で、人間らしさを失わず生きていること。普通でもいいから、とにかく生きていくこと。人と人の間で。

その尊さを、この作品は強烈に教えてくれる。それが幸せということなのだろうし、人間らしさそのものなのだということなのだろう。僕は、そう感じている。

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日本の映画史にずっと語り継がれていく、不朽の名作になりうる作品だと思います。
まだ観ていない方は、絶対に観に行ったほうがいいです。

matome.naver.jp

 

【 こっから先はややネタバレ。まだ観ていない人は、もうPC閉じてください 】
↓↓

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哲はすずのことが好きだった。すずの代わりに集めたコクバの上に、花を乗せて渡した哲。

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周作との結婚について悩む時、哲と過ごしたあの海に来るすず。

 

作品内では、いくつもの【対比】【デジャブ】が描かれている。
・あの時、コクバのカゴをすずの頭に乗っけて渡した哲。
・哲が北条家に泊まりに来た時、灰皿を哲の頭に乗っけて、照れ隠しに怒ったすず。

・幼い頃、兄弟3人で一緒に寝転びながら、天井を指差した右手。
・すみと一緒に、お兄ちゃんを思い出しながら寝転び天井を指す、今はもうない右手。

・幼い頃、突然現れたリンに新しいスイカと着物を用意してあげた、すずの優しさ。
・死んだ母とすずを重ね合わせ、拾った海苔巻きをすずにあげようとする孤児の優しさ。
本当は自分が食べたくて仕方ないはずなのに。

 

・右手を失くして亡くなった孤児の母。
・すずの右手をずっと離さない、孤児。

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