Daisuke Kubota 〜 Neutral football

Footballで社会をつなぐ。現実の殻を破る。日常を笑い飛ばそう

まるで別の映画のよう 〜 君の名は。を観に行ってきた

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今さらだけど、ようやく『君の名は。』を観てきた。

男女が入れ替わる物語 くらいの予備知識だけ。それ以外の設定やあらすじを全く知らない状態で観に行ったので、物語についていくのが精一杯だった。それでも充分胸を打たれる物語だったのだけれど、時系列の細かい変化や設定、情景や背景などを一回だけでは理解しきれず、でも何故かこのままでは終わらせたくない衝動もあって、たまらず、原作本を買って読んでみた。

 

原作を読んで、いろいろなことがようやく理解できた。主人公ふたりの背景、時系列の変化の仕組み、あの時…瀧は、三葉は、こういう想いからあの行動に走ったのか…とか。全て含めて情景を理解することができた。
で、やっぱりたまらず、もう一度改めて映画を観に行った。同じ映画を二度も観に行くのは、中学生の時に観た Back To The Future 以来だ。それだけ、僕はこの物語の世界観に強く惹かれてしまった。

 

 


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上でも書いたけど、映画では表すことができない、瀧や三葉がその時に想っていた心の声や、様々なプロットなどが原作を読むことで理解できていたから「えっと、さっきのシーンは…」などと思い起こして考える必要がない分、そのまま物語がスッと胸に入ってきて、頭ではなく心で観ることが出来たんだと思う。最初に観た時にはそれほど何も感じなかったシーンで泣きそうになってしまったり、実際に涙してしまったり。何だか不思議ですね。

まるで、最初に観に行った映画とは別の映画を観ているようで。観ている最中、そして観終わった後も、胸がいっぱいになった。こんな感情は久しぶりだ。

 

そういえば…1.2年前、ある方の話を聴いて、後でそれを全て文字起こしするという作業をよくしていた時期がある。その時、一回聴いた話なのに、文字起こししてみて初めて気づくことが結構あった。言葉の真意とか、その人が本当に伝えたかったこととか、行間に含まれる、文字にならない言葉とか。

文字起こしをしたあの時によく感じていた「あぁ、これってこういう意味だったんだ」という想像と、感動。そこには自分なりの解釈も含まれるけれど、話を聴くだけでなく、文字に起こしてみて初めてわかることがあり、そのほうがさらに心にスッと入ってくる。

映画を観てから原作を読んで、そしてまた映画を観る。今回それで感じた「まるで初めて観る映画のようだ」っていうこの感覚は、あの『文字起こしで感じていた感覚』に似てるなと思う。

なので

映画→原作→映画。この流れ、すごく良いかも。これからこのパターンで映画を観ようかな。

 

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まだ観ていない人もいるだろうから物語の設定もあらすじも結末もここではもちろん書かないけれど、個人的には、三葉の純粋さとけなげさが、もうたまらなくて。三葉の声を演じた上白石萌音さんの魅力的な声も最高だよね。

たぶん、また観に行ってしまう。いや、絶対に観に行く。次は、一葉お婆ちゃんの言葉の意味をもっと噛みしめながら観てみようかな。結び、組紐、時間…

また違った情景が表れて、新たな感動が心に響いてきそうな気がする。

 

どうやら完全にハマってしまった。そのうち聖地巡礼しそうな自分が怖い 笑

・・・たぶんする。飛騨高山、行ってみたい。糸守湖のモデルと言われる諏訪湖にも行きたい。四谷の須賀神社の階段や信濃町の歩道橋なら、いつでも行けるな…

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前世とか、パラレルワールドとか…僕は結構、信じてる。夢で見たこと、それは実は夢ではなくて、自分が住んでるもう一つの世界、まさにパラレルワールドなんじゃないかとも、かなり真剣に信じてるんです。

ごく少数の人にしか言っていないけれど、子どもの頃、僕は戦時中に空襲で逃げ回っている記憶がずっとあった。東京が大空襲を受けたことなんて勉強で知るずぅっと前の、小さい頃から。今でも、その記憶の断片は少しなら思い出せる。

それだけじゃない。江戸時代に、お侍さんに刀で斬られるんじゃないかってビクビクしながら町を歩いている記憶や

自分が年老いて、なんとなく余命も悟って病院のベッドに一人寂しく横たわってるだけの映像の記憶も、小さい頃からずっとあった。それは決して夢ではなく。

変人と思われるかもしれないが、本当にあった。こういう人って実は結構いるんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろう。

 

だから何なんだってことではなくて、前世やもう一つの世界の記憶、やっぱりそれは夢だった、でもいいけど

君の名は。』がなぜこんなにヒットしたのか。それはその世界観が決して架空のファンタジーだけではなくて、どこか僕らも「ひょっとしたら違う世界を生きてるんじゃないか」とか「まだ出逢っていない、本当に逢うべき人を探さなくちゃいけないんじゃないか」っていう想いが心の中にあって、それが、多くの人の琴線に触れたんじゃないかって、勝手に妄想したりしてる。

こんなこと真剣に書くと、やっぱりおかしいと思われるかな。単純!とか。

 

ところで…最初に観に行った時、『君の名は。』を観に行ってきたよーってFacebookに書いたら「やっぱり日本人は凄い!」というコメントをくれた方がいました。

この映画を観て「日本人は凄い!」っていう発想になってそれを人のFBに平気でコメントしちゃう感覚が、何とも残念というか。日頃から相当に右寄りな発言をされてる方だし、逆に僕が相当な左側だということも知ってる方からのコメントだったので、なおさら恣意的なものを感じてしまった。

繊細なアニメーションのタッチだとか日本ならではの情景などを観て「日本人は凄い!」ってなったのかもしれないけれど、日本人が凄い!んじゃなくて、新海誠さんのチームが素晴らしかったわけで。この作品が例え中国や韓国の映画だったとしても、僕はもちろん何度も観に行くし。

せっかくの美しい映画を汚された気がして、とても不快に思ってしまった。なぜ純粋に、一つの作品として観れないんだろうか。

「国籍は関係ないと思います」とコメント返したけど、その後は返信なかった。

 

国や国籍や人種に何かの価値を見出だしたり、差別化したり、賞賛したり批判したり、僕はそうはなりたくない。美しい作品を観た後だけに、余計にそう思わされる出来事だった。

とにかく

君の名は。』は素晴らしい作品です。これ以上でもこれ以下でもない。まだ観ていない方、DVD化を待たずに、是非スクリーンで観るのをお勧めします。

 

何!? 君の名は。展 が長野で開かれてるって?…行くしかないじゃないか。