Neutral football

イメージした理想が現実を塗り替える。フットボールと社会をつなぐ

伝え方を考え出したらキリがない。けど、探求は止められない

f:id:neutralfootball:20161107224617j:image

表現主義とは、人生というものを具体的な形ではなく雰囲気で映し出すアート・フォームなんだ。これこそ自分の進む道だと思ったね」(デビッド・ボウイ

 

普段の練習で、子ども達にプレーについて何かを伝える時、言葉の使い方にはいつも気を使う。いつも悩んでる。常に試行錯誤の繰り返し。


例えば
「ボール【を】見ろ」ではなく「ボール【も】見ろ」という言葉は、感性豊かな子なら「ボールから目を離せ」という意味でも同時に受け取ってくれる。もちろん、ボールも見えてる(わかってる)状態なうえで。
このギリギリすれすれの感覚で、僕は練習をしていきたい。このニュアンス伝わるかな…


指導者がただただストレートに言葉を発し、選手はそれに従ってプレーするだけでは、良いプレーは決して生み出せないと思う。
プレーに関して何かを伝えようとしてそれをそのままストレートに言葉にすると、まさしくそのままにしか伝わらない。そのまま伝わるならいーじゃんと思われるかもしれないが、こちらの言葉が選手達にそのまま伝わることは、僕は良いことではないと思ってる。


同じその場にいて、お互いの表情、熱、前後の文脈とかその場の雰囲気とか、これまで一緒に紡いできたものとか…それらの要素やニュアンスが全て含まれて、後にも先にもその瞬間にしかない、そしてその場にいる者同士にしかわからない、たったひとつの『言の葉』となる。ペップ風に言えば、そのチームだけの「イデオマ」になる。


しかしたったひとつの言の葉でも、ひとつひとつのプレーは具体的にではなく抽象的に伝えるほうがいい。抽象的でも、肝の部分は伝わる。だから抽象的に伝えれば、共有したい肝の部分はあまりズレずに、そこにいる選手の数の分だけ、その肝をどう表現するかのバリエーションが広がる。このほうが選手側の発想を引き出し広げられると、僕は思ってる。


言われたことをそのまま受け取りそのまま実行する(させられる)ことに慣れている日本人に指導するならば尚更のこと。そんな『ザ・日本人マインド』は、サッカーではぶっ壊さなけりゃならないんだ。
例えば
『見ろ』とは言わない。『見ようとするな。見えてればいい』と言う。
「見る」と「見えてる」この大きな違い、感じて頂けますか?


「ボールを信頼しよう」
ボールを信頼できるのが技術。小学生でも、このニュアンスは感じ取ってくれる。


「見えてればいい」「ボールを信頼しよう」
この言葉の真意が分かったら、練習の場で言ってみて下さい。子ども達のプレーがきっと変わってきます。まずは目線の位置が、大きく変わってくるはず。


そして何より、そんなこちらの想定より遥か上のトンデモない発想をするやつが、必ず出てくる。そんな瞬間がたまにあるから、コーチをやめられないんだけども。


----------------------------------------


最近、最も重要視して伝えていることがある。

それは『極力、考えることを省いていく』こと。


考えることが悪いとか、約束事や決まり事をガチガチに決めてプレーを自動化していくとか、そういうことではなくて
『考えることを省いていく』ことの意味は、大まかに言えばふたつ。
ひとつは
『試合の場で考えてる暇はない。そのために、練習の場で妄想を重ねていく』こと。


練習で妄想、試合で閃き。あるサイトで知ったことだが、人間の自由意思は0.2秒だけ存在するらしい。脳で「こうしよう」と命令しそれに基づいた行動が自由意思と思われがちだけれど実はそうではなく、脳で「こうしよう」と決める前に、身体が勝手に動く0.2秒の世界があるらしい。
閃きとは、まさに0.2秒の自由意思の世界なのではないかと。学術的にはそういう意味じゃないのよ久保田くん、と言われるかもしれないけど、まぁ僕は今、勝手にそう解釈してる。


閃きを出すために、練習では妄想を重ねていく。相手をつけないボールタッチの練習の時は、例えば右からはダビド・ルイスが寄せに来てる、左からはチアゴが来てる、ならばこうタッチしてボールを守って、こっちに運んで、その間に味方は逆サイドを必ず走ってくれてる…という具合に、ひたすら妄想しろと。妄想を重ねていきそれに伴ったプレーをしていくことで、試合の場で、相手の影や足音、気配を感じた時にとっさの閃きが出る。…と、僕は今は思ってる。


そして『考えることを極力省いていく』ことのもう一つが、とても重要で。
この最大の意味は
『最初からわかってることに対してはミスらず、必ず上回れ』ということ。これが今、選手達に一番伝えているところ。
ゲームの中で、いちいち見なくても、いちいち考えなくても「相手がこうしてくる、ここにいつ来る」のが【最初からわかってる】瞬間って、実は結構多いんです。
でもこれ、カテゴリー問わず、ほとんどの選手が気づいていない。気づいていないというか、そこに対して平気でミスってる選手が多い。


「最初からわかってる」をもう少し言い換えると
折り込み済み
計算済み
みたいなニュアンス。


例えばタッチライン際で相手を抜いた後、その抜かれた相手はどこを通ってもう一度追っかけてくるかといえば、間違いなく100パー、内側を通ってくるわけです。これはいちいち見なくてもいちいち考えなくても、最初から『折り込み済み』なはず。
それなのに、インサイドで内側に切り返してその相手に引っ掛けちゃうとか、プロの試合でもよく見かける。
見なくても「そろそろ…来.る.よ.ね」の「ね!」の瞬間にアウトでターンしてそいつをいなすとか簡単にさばくとか、それくらいは見ないでヤンなきゃダメだよと。これはもう考えるとか判断のレベルじゃない。折り込み済みなんだからそれを利用して上回るべきこと。


ゴール前でこちらがシュートモーションをすれば、相手は100パー足を出してくる。これも、折り込み済みなこと。万が一出してこなけりゃ、そのまま打てばいいんだし。
100パー足を出してくるんだから、簡単に切り返すこともできる。だって折り込み済みだから(しつこい)
だからシュートモーションから切り返しまでをワンセットでやれる。考える必要も、見る必要もない。


相手を一人抜けば、ほぼ、2人目が最初のスペースを捨ててカバーに来ることも折り込み済み。だから寄せてくる2人目を見なくても頭で考えなくても、ハイやっぱり来たね、の「ね!」のタイミングで、そのカバー役が最初いたスペースにノールックでパスを入れてくとか。
これら全て、考えなくてもわかること。考えなくても出来ること。例に挙げたのはごく一例だけど、他にも『折り込み済み』なシーンはいくらでもある。


ほぼ100パー、相手がここにこのタイミングでこう来る = 最初から折り込み済み


「それに対してはもう、考えてプレーとかじゃないから。見なくても考えなくてもわかってるんだから。ミスっちゃダメなんだぜ」と、その『折り込み済み』を増やし、考えなくてもやれる、考えなくても勝手に上回れる場面を増やすんだと、手を替え品を替え、最近は伝えてる真っ最中なのです。


伝えるって難しいけど、探求し始めると、面白いし奥深いよね。


ところで漢字
折り込み済み…で合ってるんだろか。織り込み済み、かな