Neutral football

イメージした理想が現実を塗り替える。フットボールと社会をつなぐ

現場のサッカーコーチから、田嶋会長へ ②

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(画像はグノシーより)

 

ハリルホジッチ監督をいきなり解任したJFA、特に田嶋幸三会長への怒りに任せて、前回書いたコラム。

「会長として、どんな時でも、日本サッカーの発展を考えないといけない」

会見でこう言い放った田嶋会長に対し「それ言うなら、まず先にやることあるでしょ」という内容だったのだけれど、こちらの予想以上に、大きな反響を呼びました。

サッカー指導者のみならず、サッカークラスタ、サッカーファンの方々が多く拡散してくれた他、お笑い芸人コンビ・ダイノジの大谷さんまでも、ツイッターで拡散してくれました。

neutralfootball.hatenablog.com

 

草の根の現場の実態や現状を、田嶋会長は

① 何も知らない

② 知っていてあえて無視してる

③ どうでもいいと思っている

④ どうにかしなければとは思っているけれど、手が回らない

おそらくどれかなのだろう(せめて④であってほしい)けれど、あの「日本サッカーの発展を第一に考えなければいけない」という会長の言葉に、思わず「お前が言うな」「その前に現場の俺たちの声を聞いてくれよ」と、TV画面に突っ込んだ人も多かったのでしょう。

 

もちろん、JFAに怒りを感じている、愛想をつかしているのは僕だけじゃない。

そんな人達の切実な声を紹介する媒体として、このコラムを使ってもらうことを考えました。

まずは

昨年12月、小学校の体育の授業にフットサルを導入することに、JFAが反対の意見を提出したというニュース。これは結構な物議を醸したんですが、その後、どうなったんでしょう。

www.asahi.com

www.pivo.co.jp

futsalx.com

僕のコーチ仲間でもあり、CA横浜セレーラ というクラブで代表を務め、フットサルにも造詣が深く、自身のクラブでもフットサルを指導している臼井隆弘さんが、以下のような見解を述べています。

ここでそれを紹介すること、そして実名を出すことは、臼井さん本人の了解を得ています。

↓↓

Fリーグを創設したものの、根っこに感じるのは「フットサルはサッカーファミリーではないのでしょうか?」ということです。

フットサルではなく、サッカー。「体育であれば《ミニサッカー》でないと、子どもが混乱する」と。これが協会が文科省にチャチャ入れた理由のようで

混乱しているのは実は自分たちなのでは?フットサルを承認出来ないのは、フットサルを誤解しているからだと感じています。

フットサル、バスケ、バレー、ホッケーなどなどボールスポーツチームをクラブに持ち、互いの理論を指導者間で交換し磨き続けているバルセロナという1クラブにでさえ、協会は遠く及ばないなぁと。

知識が足りないのにも関わらず、認めないで「私は親だから大人だから正しい」「お前らは子どもだからまだ解らんのだよ」と、踏ん反り返る我が親に半ば諦める子の気持ちになっています。

 

「踏ん反り返る我が親に、半ば諦める子の気持ち」

こんなこと、現場の指導者に言わせないで下さいよ。

でもこんな気持ちになっているのは、決して臼井さんだけではないと思います。

 

「会長として、どんな時でも、日本サッカーの発展を考えないといけない」

そう言い放った田嶋会長は、この言葉が、現場の末端にいる僕らのような指導者からブーメランとなって返ってくること、これっぽっちも思っていなかったのだろうか。

 

ワールドカップよりも大切なこと、お金よりも大切なことに、僕らは日々、現場で真剣に向き合っている。そのことを分からない、想像すらしない人に会長など務めてほしくないし、日本サッカーの未来など、二度と語ってほしくない。

 

文責 / ロボスフットボールクラブ代表・久保田大介

LOBØS FOOTBALL CLUB

 

 

言葉の大切さと奥深さ 〜 園児が教えてくれること

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ある日の園児練習にて。

園児と練習してる時、上の画像のようにコーンをゲートに見立て、その間を通る時にスピードを上げるような見本をまず僕がやってみせて
「今どんな感じでやってた?」と聞けば
彼ら「ゆっくりと、速く」と答えが返ってくる。
では「そだねー。じゃ、コーチはいつスピードを上げてた?」と聞いた。
てっきり「コーンの間を通る時」と返ってくるかと思っていたら
「コーンの間を通ろうとしてる時から」と返した子がいまして。しかも年中さん。まだ4歳。
Detailの違いだけど、大きな違いっすよね。これは。
子どもはちゃんと見てる。

「通る時」と「通ろうとしてる時から」では、言葉の意味としても大きく変わってくる。
確かに、コーンの間を通る時にスピードを上げたいと思って自分は見本を見せていたのだけど、実際は通ろうとしてる時からスピード上げてる。
相手を抜く時は「相手の1m手前から相手の1m背後までのところでスピードを上げるんや」と、今月初旬、大阪で尊敬するあの方が言っていた。

「確かに。じゃみんなも《通ろうとする時》からスピードを上げてやってみよう」となり、彼らのドリブルは緩急のメリハリがついたモノへと変わっていった。4歳の言葉が、周りの子達のプレーを変えた。

 

子どもは、ちゃんと見てる。そしてプレーの本質を、しっかり言葉で説明できる。たかが園児、たかが4歳とタカをくくっていたら、大切なことを伝えられず、ましてや偽物の言葉は見抜かれてしまう。

彼らの持つ感性を、改めて実感した場面だった。

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この画像は、マーカーで設定したグリッドの中に鬼を置いて、鬼に蹴られないように通り抜けるという練習なのだけれど
ここでも、ほぼ言葉だけでプレーを引き出せる。

「今!っていう瞬間を見つけてごらん」と言うだけで、子ども達は鬼の位置を確認し、鬼の向きと鬼の目線を気にし、他の選手がグリッドに入っていって鬼がそっちに引きつけられた瞬間を狙って行くようになる。
手取り足取り、ましてや本当に子どもの手を引っ張って「ほら、サッカーは広がるんだよ!」と教えるスクールもあるけれど、そんなことは愚の骨頂。

彼らを馬鹿にしてはいけない。想像と妄想が広がる言葉をぶつけて上げれば、彼らはめっちゃ考えますよ。めっちゃ工夫します。めっちゃ観察した上で、実行に移すわけです。
個性とはそうやって引き出し、伸ばしていけるんじゃないのかな。

言葉って本当に大切。だからこそ僕ら大人は、自分の哲学を持ち、自分の言葉を持ち、それをどう放てば、彼らに伝わり沁み入っていくのかを、常に考えないといけない。

その大切さは子どもが教えてくれる。園児は僕らの先生なのだ。

現場のサッカーコーチから、田嶋会長へ ①

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(画像は産経ニュースより)

 

日本サッカー協会(以下、JFA)の田嶋会長は、ロシアワールドカップに勝つためだけに、この時点でハリルホジッチ氏を切ったわけではないだろう。

ハリルホジッチ氏から冷遇されかかっていた選手達からの直談判メールを受け、さらには電通そしてadidas、KIRIN等の大手スポンサーからの圧力、ハリルホジッチ氏を連れてきた霜田氏が協会から去り、電通の岩田氏が理事になったタイミング、その直後の解任劇。
Oh、いかにもわかりやすい。そこに政治的そしてビジネス的な力学が働いていたのだろうということは、容易に想像できる。

このことは他でも多く指摘されているし、でも実証はできないからこれ以上は言わないけど、まぁそういうことだよね。

それよりも
4月9日の記者会見で、田嶋会長が、ハリルホジッチ監督を解任した理由の中で言ったこと

「会長として、どんな時でも、日本サッカーの発展を考えないといけない」

いけしゃあしゃあと放ったこの言葉が、僕にはどうしても許せない。

まさかロシアワールドカップで結果を残すことが、日本サッカーの発展への最優先事項だとでも思っているのか。裏を返せば、ロシアワールドカップで結果を残せなければ、日本サッカーの発展は地にまみれるとでも?

4年に一度のワールドカップ至上主義はこの国ならではの風潮ではあるだろうけども、サッカーはワールドカップだけじゃない。むしろワールドカップはオマケ。そして代表チームもオマケであるべきだ。

これからの日本サッカーを担う選手達、それを支え応援する人達、その人達が楽しめる環境。
それこそが、日本サッカーのこれからをつくっていく主役、そのものでしょう。

ワールドカップでグループリーグ全敗しようが、次回のワールドカップに出られなくなったとしても、サッカーはずっと続いていく。

いつでも誰でもどこでもサッカーが不自由なくやれる場所があり、トップリーグであるJリーグを筆頭に全国津々浦々で各カテゴリーのリーグ戦が充実し、それを観られる環境が整い、サッカーの競技人口が増え、サッカーファンが増え、その積み重ねとしてサッカー文化が醸成され熟成し、その結果として、代表チームが強くなる。

そのサイクルを構築していくことこそが、日本サッカーを発展させていくということ。
その仕組みづくりの表面だけは出来ているように見えても、肝心のその中身、草の根の現場での実態や環境を見ると、JFAが一丸となり、必死に、真摯に取り組んでいないのは、明らかにわかる。

あなたを筆頭にしたJFAは、その努力を怠ってるじゃないかと、田嶋会長に直接ぶちまけたい気分だ。

 

選手登録費、チーム登録費、指導者資格更新料、審判資格更新料、、
一体、子ども達や僕ら指導者達から、毎年いくら捲き上げたら気が済むんですか。

 

「どんな時でも、日本サッカーの発展を考えないといけない」

そう言うのなら、全国各地で「新規チーム」が連盟に入れてもらえない問題を、まずなんとかして下さいよ。

日本サッカー協会に相談しても「県協会に相談して」と言われ
ならばと県協会に相談しても「市の協会に相談して」と言われ
市の協会に相談したら「区の協会とうまくやって下さい」
だから、その区協会が門前払いなんですって。こんな地獄ループが続く。

「誰々に挨拶しないと受け入れられない」
「誰々に筋を通さないと相手にもされない」

そんなヤクザ世界のような話がジュニア年代でまかり通っているんですが、このことに関してJFAはスルーし続けるんでしょうか。そういえばJFAは、サッカーファミリーを増やすとか言ってませんでしたっけ。
本当に日本サッカーの発展を第一に考えるのなら、この問題、真っ先にどうにかして下さい。ジュニアだけでなく、ジュニアユースだってそう。連盟に入れないで苦しんでいる新規チームが、全国にはたくさんある。

何千もの子ども達(もっとかも)が「公式戦」に出られない状況が続いてる現状を、まずはなんとかして下さい。

 

もっとグランドつくって下さい。巨額の資金を草の根に回して、土のグランドを人工芝に替えて下さい。

 

指導者資格、コネがないと上級を受けられないアナログなシステムをいい加減、改善して下さい。
指導できるチームもないくせにコネだけある人がS級やA級持ってたって、何の意味もないでしょう。だったら、僕ら現場の人間達に、もっと門戸を開けて下さい。

日々忙しい中で目の前の選手達と向き合って関わって、資格取りに行く時間もない学校の先生達にもライセンスをあげられるような、そんな仕組みをつくってください。

 

情報を協会だけでパッケージしないで、現場の指導者達にも全てオープンにして、皆が勉強できる仕組みをつくって下さい。
その国のサッカースタイルをつくるっていうのは、そういうことでしょう。

 

女子サッカーの選手達の環境改善に、本腰入れて下さい。

なでしこリーグの選手達、Jリーガーよりよっぽど練習してるし、練習終われば毎日働いている。プロ選手なんてひと握りだけ。サッカー少女達に、もっと夢をみさせてあげてくれませんか。

 

日本中の河川敷グランドに、女子専用のトイレや更衣室をつくってあげて下さい。今はあまりにも、女子にとって劣悪な環境が多すぎる。それくらいの予算、余るほどあるでしょう。


女子の競技人口が増えれば、それはすなわち「サッカーやったことあるお母さん」「サッカー好きなお母さん」「サッカーに詳しいお母さん」が増えるということ。

そしたら、息子や娘にサッカーやらせるでしょう、きっと。
そうやって、年代を重ねてサイクルを回して、競技人口は増やしていくものじゃないか。

 

安倍政権、官邸の中枢にいる某政治家は、自分の選挙区の少年サッカー連盟の名誉会長に就いている。選挙戦になると、その地域のジュニアチームから保護者や指導者が電話作戦の人員として動員される。パーティーにも強制参加。断ると、グランドが使えないなどの圧力が加わる。

そんな現状がある。政治家にサッカーが利用され、ジュニアチームが利用され搾取されていることに、JFAとして、どういう立場を取るのか。
当然、この件は誰かしらからJFAへ訴えが届いているはず。それに対して、JFA側から何か反応があったという話も聞かない。JFAとして以前に、サッカーを愛する者として、会長はどっち側に立ちまスガ?まさか、政治権力側に立つなんてことはないでしょうね。

 

まだまだ言いたいことはあるけれど、もうこの辺にしておきます。

サッカーライター、サッカージャーナリストの人達は、これらのことには踏み込まない。知らないわけはないと思うけど、知ってて知らんぷりならば尚更タチが悪い。ペップがどうの、スペインの育成がどうの、戦術がどうの…といった、見栄えのいい話題しか取り上げないしね。

 

ロシアワールドカップなんて、どうでもいい。
けれど、そのワールドカップを口実にしてこの時期に監督をいきなり解任。
そういうことをする国なのか。そういうことをする協会なのかというニュースは、もう世界中を駆け巡ってしまっている。

ハリル憎し、スポンサー様へのコンフォーミズムで首を切ったのだろうけど、このことで、今後、海外の有能な監督が来てくれることはかなりの確率で期待できなくなった。
このことの方が、2ヶ月後のワールドカップで負けるよりも、よっぽど損失だろう。

そんな想定すらできないってことは、さすがにないと思うのだが。

 

最後に

もう数年も前の話だけれど、ある大雨の日、東京の駒沢競技場内にある「第二球技場」で、中体連の公式戦が行われていた。(確か都大会だったと思う)

僕は他の用事で駒沢にいたのだけれど、その時、第二球技場では某学校の試合が行われていて
その試合を、第二球技場の外の木が生い茂っている中、傘もささずに全身ずぶ濡れになりながら、木の陰からこっそり試合を見つめている人がいたんです。

それが、田嶋会長だった。

田嶋会長のご子息が、その学校の選手として出場していたわけです。
当時田嶋さんはまだJFAの会長ではなかったけれど、要職には就いていたし、サッカー関係者ならば当然、田嶋さんの顔は知っている。

スタンドに行って堂々と観戦すればいいものを、スタンドに行けばきっと屋根のある関係者席に誘導されるでしょう、周りが気を使って。
それを田嶋さんもわかっていたから、あえてスタンドには入らず、雨でぐちゃぐちゃになっている泥の森の中に隠れて、ずぶ濡れになりながら、息子さんの試合を観ていたんだと思います。

ずぶ濡れになってじっと試合を見つめていた田嶋さんの姿がとても印象的で、あの日のことは、僕は今でも強烈に覚えてる。


きっと謙虚な人であるはずだし、サッカーに対する愛も、とても深いものがある人なんだって、僕は今でも思ってます。そう信じたい。

だからこそ
「会長として、どんな時でも、日本サッカーの発展を考えないといけない」
と仰るのならば、その言葉を本当に実行に移してほしいと思う。

そしてワールドカップが終わった後でもいいから、今回の顛末の真相を、僕らに説明してほしい。心から、そう願ってます。

田嶋会長、お願いします。

 

文責 / 久保田 大介

運動神経よりも、自信があるかないか


優勝後の、ロンダートからのバック転(2018.3.4)

 

近頃よく思うのだけど、
子ども達に対し、俗に言う「運動神経がいい」「運動神経が悪い」という言い方や評価の仕方はあまり正しくなく、結局のところは

「自信がある」のか「自信がない」のか。

と、いうことのような気がしてる。

それは決して運動神経の話だけではなく、流行りの「インテンシティー」とか「デュエル」とか…
相手に対してだったりボールに対して、強く行ける、行けない、云々の話もそう。
得てしてそこが物足りない子に対して「もっと強く行けよ」とか「気持ちが足りない」とか言ってしまう指導者がまだまだ多いと思うのだけれど

そう簡単な言葉で片付けてしまう前に、まず「この子は自信がないんじゃないか」と視点を変えてみると、大抵は合点がいく。
声出せー!とか言う人もまだたくさんいるけど、自信がないのに声なんて出せるわけないよね。どんだけドSなんだか。

自信があるから躊躇なく行けるし
自信がないから躊躇してしまう。

そりゃそうでしょと。

 

そうなると話は簡単で、つまり大事なのは、自信をつけさせること。

サッカー以外のこと(なわとび、相撲、絵など)を褒めたことをキッカケに、サッカーが急に上手くなっていく子、積極性が急に出てきた子を、今まで何人も見てきた。

彼らが急激に変わっていったロジックは、きっとそういうことなのだと思う。

 

結構前の子の例ですが
それまでまるで積極性もなく、ボールも受けようとせず、そばにいる相手のボールすら奪いにも行けなかった子が、夏合宿の遊びで相撲大会をやったらまさかの優勝。
その日から、彼のニックネームは「横綱」になった。

若干8歳で横綱に就任した彼は、案の定そこからサッカーにも俄然やる気を出し、積極的にもなり、練習を休むこともなくなった。

 

今年になってうちのクラブに入ってきた1年生の子は、サッカーの他に体操教室にも通っていて、ロンダートやバック転もできてしまう。
当然、身体の動きもしなやかだし、反応も格段に早い。恐怖心もないだろうからこぼれ球やそばの相手に対してもガンガンいけるし、練習のたび、試合のたび、どんどん上手くなっていく。先日飛び級で2年生の大会にも呼んだくらいで、そこでも千両役者ばりの大活躍で、優勝に貢献してくれたような子なんですが

彼を見ても、その上達ぶりやパフォーマンスは「運動神経」で片付ければ簡単だしおそらくそれも正解なのだろうけれど、それ以上に、とにかく「自信満々」だなって。
バック転できれば、そりゃ自信持つよね。。

 

サッカーじゃないものでも何でもいいから、自信をつけさせる。
子どもの頃から、いかに成功体験を積み重ねさせてあげられるか。

ジュニア年代に携わる指導者にとっては、ここが一番肝のような気がしてます。
何かを教えることよりも、大事なことなんじゃないかな。

 

大道芸を練習していた人のこと

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世田谷区と杉並区の境目あたり、住宅街の中に突如現れる広大なグランド。
ここは予約も要らず利用料金も要らず、制限もなく、そのかわり利用者同士お互いに譲り合いながら使ってくださいね、という場所。

だからうちらみたいにサッカーしてる団体もいれば、一人でボール蹴ってる大人、フットゴルフの練習に使う人、野球、バドミントン、その他の種目…
はたまた
幼稚園に子供を迎えに行った帰り、お母さん同士がシート敷いて喋ってたり、おじいちゃんが散歩してたり、カップルがイチャイチャしてたり…という、
なかなかにポジティブカオスな空間なわけです。

で、この日は
うちらがサッカーしてる向こう側に、大道芸でよく見るやつ「中国ゴマ」?のような芸を練習してる人がいた。

調べたら、正式名称「ディアボロ」っていうらしい。
これを、子ども達がキャッキャとサッカーしてるそばで、あの人が黙々と、一心不乱にずっと練習してたわけです。

リフティングだったりドリブルだったり、個人技を多発する選手のことを「あんなのサッカーじゃない、サーカスだ」とか
「大道芸だ」と、斜め上から嘲笑するようにバカにする大人が、サッカー界には多数いる。特に指導者界隈。

そういう、何かを(誰かを)ネガティヴな例に出して何かを(誰かを)バカにしたり「そんなの意味ないよ」などと一刀両断してしまう大人など、指導者の資格がないと僕は思っている。それは別の機会に書くけれど

「あんなのサーカスだ」っていう言い方はサーカスのことを舐めてるよね。あれ、命がけじゃないですか。失敗したら死の危険と隣り合わせ。
ピエロの人だって涙ぐましいトレーニングをしてピエロを演じてるし、動物だって命がけ。それを訓練している人達だって、命と向き合いながらやっている。

でもサッカーは、命がけじゃなくてもできます。普通にできます。苦労なくできます。
死の恐怖と隣り合わせなんてことは、ほぼない。

大道芸の人は、街に出て、そこにいる人達に目を止めてもらってなおかつ芸を評価されないと、一銭もお金をもらえない。
普段、見えないところで必死にトレーニングを積んで、街に出てくる。この日ディアボロを練習してたあの人だって、きっとそうでしょう。

そんなことを、少しゲームの内容が緩くなってきた子ども達を集めて話しました。

どんなプレーが好きでも、どんなことをやりたくても、それは別にいい。でもそれが好きなら、それをやりたいのなら、君達にとっては今この時間がそれを必死に練習する時間なわけで
時間が限られてるし、無駄に過ごすのはもったいない。あの人を見れば分かるだろう?と。

言わずもがな、その後のゲームはガラリと変わり、最高の雰囲気になった。
ディアボロなあの方に感謝しないといけないな。

 

 

攻撃と守備の概念は逆じゃないのか

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Offenseを「攻撃」Defenseを「守備」と訳し、その文字の見た目と響きのままに解釈してしまっているから、日本のサッカーは、ちょっと厄介なことになってる。

言葉をひっくり返そう。

「攻撃」は、こちらがボールを持たない時。
相手のボールを攻めに行く。

「守備」は、こちらがボールを持った時。
文字通りボールを「守」りながら、ボールが相手に渡った場合にも「備」えつつチャンスを伺い、
相手の間をすり抜け、かいくぐり、虚をつき、上をゆく。

ゴールは攻めるものではなく、陥れるもの。

攻撃だ、行くぞー、進むぞー、となるから緩急ないサッカーになるし、守らなきゃ…となるから、腰が引けてボールを奪いに行けない。

そんな話を、今日の練習にて子供達に話しました。

ボールのない時が攻撃
ボールのある時が守備

この概念で子供の頃からサッカーしたら、日本サッカーはひっくり返るんじゃないか。

そんな妄想してます。そしてそれを自分の手で証明したい。

井の中の蛙

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先日行われたU-12の県大会にて

あの試合、特に後半うちの選手達は相手に対し今までにないくらい激しく強い寄せをずっと繰り返して、それが後半の失点ゼロに繋がったのは間違いないのだけれど、少し遅れてアフター気味に行ってしまったり、気持ちが抑えきれずに相手のシャツを引っ張ったり…みたいなファールをしてしまうことも、しばしば。
その場合はもちろん、笛を吹いてもらって一向に構わない。当たり前だ。

けれど、ただ強く当たって相手が倒れるとか、それだけでピッピピッピと笛を吹かれることには、やはり到底納得できない。しかも主審の方はいつも歩いていて、遠くでその競り合いを眺めて、競り合いで倒したらゆっくり笛を吹いてばかり。前半1失点目のFKだってそうだ。あれのどこがファールなのか。全く馬鹿らしい。

また、後半に吹かれたあるファールに対し、試合後の整列時に「故意で悪質」と断罪してうちの選手に対し主審が諭していたらしいが、走りもせずルールも理解せず、ピッチ上の警察官気取りで偉そうに教育ぶって、うちの大切な選手に対し何か言うのはやめてほしい。言われた選手はどれだけ傷つくと思っているのか。

あんなに遠くから見て、なぜ「故意」と断定できるのか。全く意味がわからない。アナタは視力6.0のサンコンさんなのか。選手の頭の中を覗けるエスパーなのか。
選手を馬鹿にするのも、いい加減にして欲しい。

審判をリスペクトしましょう!とかよく言われるけど、本気でやってくれている人なら、例えそれでミスジャッジをされても、何も言わないし何も思わないし、リスペクトして試合に臨むのは当たり前。
しかしサボって不勉強で尊大で、しかも偉そうに教育者ぶってよその選手に説教垂れる人に対し、リスペクトなんかできるわけないでしょう。

あの主審も含め、うちの選手達のプレーを「荒い」とか評する人の、その眼力こそが荒い。

うちの選手達は昨秋に前橋でオーストラリアや韓国のチームから「本物の戦い」を挑まれ吹き飛ばされ、砂にまみれて「本物のフットボール」の片鱗を知り、それを機に、前橋が終わってからも激しく強い当たりを自分達で習慣づけて、当たり前の基準を上げてきた。

それを「市」とか「区」の狭い地域だけで「公式戦」とか呼び喜んでいる井の中の蛙のような人達が、何も知らないくせに「荒い」とか言っちゃう滑稽さ。
FAリーグでも、そういう声は何回も聞こえてきた。倒れたらすぐ「おいー!」ってベンチが叫ぶチームもいたね。

そういう人達はもう一生、そのちっぽけな世界だけで楽しんでればいいじゃないか。
こっちの世界に口を出さないでくれ。

こういう大人が偉そうに楽しんでいる光景は、本当に虫唾が走る。そして、こんな人がまだたくさんいるのが「公式戦」という場所。

日本サッカーを本当に強くしたいのなら、こういう大人を淘汰していかないと、いつまでたっても日本は井の中の蛙のまま。

だって、井の中の蛙が指導者をしているのだから。