Daisuke Kubota 〜 Neutral football

フットボールと社会をつなぐ。現実の殻を破る。

靖国神社と遊就館に行ってきた

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最近歴史に関心があって、特に、日本の近代史にとても興味がある。幕末から明治維新を経て、太平洋戦争まで。
いろんな立場や史観があるけれど、自分のスタンスだけに強情になる前に、もう少し「逆側」の立場のものを見てみたいと思い、そんな象徴の場所でもある、靖国神社遊就館に行ってきた。

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市ヶ谷駅から数分歩き、靖国神社に到着。門をくぐる前に手袋とネックウォーマーをとり、聴いていた音楽は止めた。礼儀知らずの僕でも、さすがにそれくらいはする。靖国神社のスタンスや主張には反対だしそれを礼賛し利用する人達のことは大嫌いだけれど、それとこれとは別だ。
ちなみに本殿の前には立ったけど、二礼一拝一礼、という決められた形での参拝はしなかった。

でもその本殿の前は、なんだか凄くゾワゾワした。原爆ドーム前で感じたあのゾワゾワ感を思い出した。やっぱりただの神社ではないことは、この場の空気感で伝わってくる。誰か、いや「誰か達」がこの場にたくさん眠っている(漂っている?)ことは、明らかに感じ取れた。

靖国神社の境内は、ダブルの黒スーツに坊主頭、肩を揺らして歩く、そんな香ばしい人がやたらと多かった。
その反面、息子さんであろう人に手を取られて参拝に来ているお婆さん、そして遊就館のエントランスから少し隠れたところで号泣し、一緒に来ているであろう周りの人に慰められているおばさんもいた。戦争で亡くなりこの靖国神社に祀られている旦那さんやお父さんをお参りに来たのだろうか。そんな人達の想いは、素直にそして静かに、尊重しなければいけない。

早く甘酒を飲みたい衝動を抑え、靖国神社の敷地内にある遊就館へ。

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ヤマトタケルノミコト の時代からの展示物もあり、太平洋戦争だけでなく、日本の国の成り立ちのところから、展示が始まる。てっきり太平洋戦争のことしか展示してないと思ってたから、少し驚いた。神武天皇を普通に実在の人物として書いてるところに、おいおいというツッコミを入れてからのスタート。

そうとは言え、やはり展示に重きが置かれているのは、明治維新後、日本近代史について。

簡単に言えば、日清戦争から始まり太平洋戦争終結まで、戦争をしたのは仕方ない、日本は全て悪くない、という主張を滲ませる文言ばかり。戦争の正当化と、戦争の美化が続く。
勇ましい言葉も多く、わかりやすく言えば、反省の色がひとかけらもない。もちろん、反省のひとかけらもない人達が作ったものだろうから、当たり前だけど。

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館内で上映されていた『私たちは忘れない!』という映像作品も観た。ちなみにこの作品の企画制作は、あの日本会議らしい。

映像にナレーションが乗る形で作品はつくられているけれど、そのナレーションはまるで、北朝鮮の国営放送のアナウンサーのように勇ましい口調だった。

そこで語られていた内容を、用いられていた言い回しはそのままに、ざっくり書きますね。

日本民族には誇り高い歴史がある
・日本は、清国の属国となっていた朝鮮の独立を願った。アジアの安定を願ったから。しかし清国がそれを許さずに、日清戦争が始まった。

大東亜戦争は、黒船襲来からの、日本近代史の総決算である。
大東亜戦争は、日本近代史においての、最大の使命だった。
大東亜戦争は、アジアを代表する存在の日本による、欧米の大国への抵抗であった。

ハルノートは、日本にとって到底受け入れられるものではなかった。

満州での激烈な排日運動にも我慢を重ねてきたし、せっかく手に入れた権益を捨てるわけにはいかない。

・戦争を避けるという道もあった。全ての権益を捨てて、日清戦争以前の日本に戻るという選択肢もあった。しかしそれは、戦争をしなくても戦争に負けたということ。
日本に選択の余地はなかった。

・日本を悪者に仕立てたルーズベルトの謀略であり、極東の小国日本が、欧米の大国に立ち向かった大東亜戦争。自存自衛の戦争だった。

・特攻作戦は、祖国を守るための崇高なる散華であった。一億が火の玉となって戦った。

 

メモれたのがこの程度だけ。これ以外にも、作品の終始に渡り自画自賛と誇大、そして日本が行なったこと全てを正当化し、美化してる。
この作品を制作したのがあの「日本会議」だからこのような内容になるのは仕方ないのだろうけれど、さすがに、観ていて恥ずかしくなった。

この作品に限らず、遊就館の中の展示物や説明を見てみても、日本がアジアでやったことへの言及は一切なし。全てにおいて「仕方なかった、欧米列強の圧力があったからだ、あれは自存自衛の戦争だったのだ、悪いのは欧米なのだ」という主張ばかり。

終戦について書かれた展示物に「全国の部隊は、未だに烈々たる戦意を燃やしながらも、粛々と武装解除を受け入れた。抵抗する者は一人もいなかった」って書いてあったけど、これ嘘やん。宮城事件もあったし。

 

そんな館内全ての展示物を見終わり、エントランスに出て来るとお土産コーナーがある。ここには、日の丸の他、靖国神社グッズ、軍艦グッズ等の他に、百田尚樹や石平太郎といったコテコテ右翼作家の著作が並び、それ以外にも、お決まりの「日本はぜーんぜん悪くないもん!」という本がたくさん並べられ、売られている。

つまり、そういう施設だということです。

百歩譲って、そのような見解や主張をするのも別にいいですよ。そういう人達が日本にいっぱいいることも知ってるし、そのような主張があったってもちろんいい。日本には思想の自由も言論の自由もあるんだから

でもこのような偏った主張(日本は悪くなかった、全て外国が悪い、特攻は素晴らしい作戦だった…等)を声高にあげ、反省のかけらもみせないこんな施設を抱え持つ靖国神社に、政府の要人が参拝に行くのは絶対にダメ。日本の公式見解と受け取られても文句言えない。一回だけでは足りないと思い僕は二回行ったけど、改めて、その思いを強くした。

 

特攻で死んでいった人の手紙や遺言、残された奥様の手記などもあった。それらを読めば、やっぱり胸が締め付けられる。

中でもこの手記は、たまらなかった。
戦後も再婚せず、戦死した旦那さんのことを想い続けながら、ずっと一人で生きてきたというお婆さんの手記。脳梗塞を患い手が不自由になったけど、リハビリを重ね、なんとかまた自分の手で書いたという手記。よれよれの文字だったけど、だからこそ、この方の想いが余計に強く伝わってきた。

「 天国のあなたへ   

娘を背に日の丸の小旗をふって、あなたを見送ってから、もう半世紀がすぎてしまいました。たくましいあなたの腕に抱かれたのは、ほんのつかの間でした。

三二歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは、今どうしていますか。
私も宇宙船に乗って、あなたのおそばに行きたい。
あなたは三二歳の青年、私は傘寿を迎える年です。 おそばに行った時、おまえはどこの人だ、なんて言わないでね。
よく来たと言って、あの頃のように寄り添って座らせて下さいね。

お逢いしたら娘夫婦のこと、孫のこと、また、すぎし日のあれこれを話し、思いっきり甘えてみたい。
あなたは優しく、そうかそうかとうなづきながら、慰め、よくがんばったねとほめて下さいね。 そして、そちらの「きみまち坂」につれて行ってもらいたい。

春、あでやかな桜花
夏、なまめかしい新緑
秋、ようえんなもみじ
冬、清らかな雪模様

など、四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。

私はお別れしてからずっとあなたを思いつづけ、愛情を支えにして生きて参りました。
もう一度あなたの腕に抱かれ、ねむりたいものです。
力いっぱい抱きしめて、絶対にはなさないで下さいね 」

せつない。つらい。でも、こういう方が、日本にはまだまだたくさんいらっしゃるのだろう。そんな人達のことを、想わずにはいられない。

靖国神社遊就館のスタンス、ここで掲げられている主張や見解には僕ははっきり反対の立場だけれど、それでも、自らの意に反して戦地に赴かされ亡くなっていった人達、残された家族の人達、戦争によって大切なものを失った人達に対しては、日本人として想いを馳せないといけないし、敬意を払わないといけない。

僕らが憎むべきは、あのような戦争に導いた指導者達であり、それを一般市民も疑わずに受け入れていたとするのならば、そうなってしまった「空気」そのものを恐れないといけないし、反省をせずに正当化と美化ばかりいして自らの自尊心を満足させようとしている愚かな人達に対しては、きっぱりとNoを突きつけないといけないのだ。

まだ真っ白な子ども達をここに連れて来るのもどうかと思う。子ども達に対しては、左右の立場限らず、一方的な側からの見方だけではなく客観的な視点できちんと教えるべきだろう。修学旅行で見学に来る中学や高校も多いらしいけど、純粋な子があっさり影響されてしまわないか心配だよな…

と思いながら、出口付近にある感想ノートを眺めていたら、ある高校一年生が書いた感想に目が止まった。

特別攻撃隊が世界の人々に感銘を与え、平和と発展の礎となったという◯◯さんの言葉には、驚きを隠せません。なんの反省も感じとることができませんでした。
なぜ遊就館では在日外国人(に対して)や海外で日本兵が犯した非道な行為について全くふれてないのでしょうか。残念です。
世界に平和をもたらしていくには自分たちのした行動を振り返り、反省し、子供達に伝えていくべきではないでしょうか。
自国を客観的な目で見ることを忘れないでほしいです。」
(◯◯さんというところは実名が書いてあったので伏せたけど、おそらく、見学した時に案内してくれたガイドさんのような人だろう)


遊就館を礼賛する感想ばかりが書かれてあるノートに、このような自分の意見をしっかり書ける高校一年生。字体からしておそらく女の子だと思うけれど、彼女のような若者こそが、日本の希望そのものなのだと思う。

 

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靖国神社にある売店の牛丼と甘酒は、うまかった。
でもこの売店では「晋ちゃんのびっ栗饅頭」なるものも売られてて、思わずびっ栗。

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こういうのつくるセンスがもう、ダサいよねぇ。

 

rikutukoneo.hatenablog.com

指導の仕方は違って当たり前 〜 吉田都さんの話

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バレエダンサー、吉田都さんの話

 

日本に比べたら、ロイヤルなんてもうバッラバラ。一人ひとりの主張が激しくて、その意思というかエネルギーが強く出てしまうのです。一方、日本人の鼓舞が美しいのは、形を真似るのが上手いからです。

Q)外国人バレエダンサーは、真似はそこまで上手くないんですか?

とにかく真似るより、自分の踊りがしたいのです。自己主張が激しい分、教える側もすべて論理的に説明していきます。

日本人は練習時間が短くても、いま申し上げたように形を真似る力が高いから技術的なことはどんどんできちゃいます。その分、内側から湧き上がるような表現力というのはなかなか教えられないので、苦労するのです。

週刊文春阿川佐和子のこの人に会いたい」より)

 

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その人の内部から滲み出る魂であったり情熱であったり、悲しみ、喜び、欲求、煩悩…それらを表現することが、スポーツや音楽、アートの最終目標なんだと思う。勝敗や優劣はその結果の数字でしかなく。
だから、それら「何かを表現する」もの全てにおいて、そのやり方や指導方法に決められた正解があるわけじゃない。

僕らサッカーコーチからすれば、目の前にいる選手が全て。日本人とスペイン人ならば指導方法に違いがあって当たり前。同じ日本人同士だって、本来バラバラなはず。だから指導の仕方は違いがあって当たり前。


海外ではこうだから…と画一的な原理原則をどこでも同じように当てはめるのではなく、
いま目の前にいる選手に合わせて、自分の中の信じた正解をいかようにも疑ってかかり、時には捨てて、発する言葉も接し方も指導のアプローチも、柔軟に変えていく姿勢が何より大切なんだと思う。

「スペインではこうでした。だからサッカーはこうあるべきです」
とあっさり断言してる人が日本人の子どもにサッカーを指導するのって、とても危険だと思うよ。おおよその日本人はどういうメンタリティーを持っているか、そして良くも悪くもどういう教育を受けているかを、もっと草の根から這いつくばって肌で痛感してから、自分の中の正解を見つけた方がいいと思うけど。そこから外れる例外的な子達にも、目を向けながら。

 

サッカーは自由なスポーツなのに、もっといろんな考えがあっていいはずなのに、そして自分で新たな概念を生み出したっていいはずなのに、答えを最初から決めつけてしまう人が多い。そして悲しいことに、それをあっさり信じてしまう人はもっと多い。だって、大人子ども問わずほとんどの日本人は、教えられたことに対して、そして教えてくれる人、にはとても素直で従順なんだから。

 

やっぱり、大人がもっと自由にならなければいけないんだと思う。

 

ペトロビッチの美学

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当時この記事を新聞で読んで、切り取って、財布の中にずっと入れてありました。
理想と現実との狭間で迷いそうになった時は、これ読むことにしてます。

 

ペトロビッチの美学
(2009年10月 / 朝日新聞・潮智史さんの「side change」より)

すごみすら感じた。ぞくぞくするような。25日の川崎・等々力競技場。大勝した川崎の攻撃ではない。7点を奪われた広島の戦いぶりにだ。

前半18分、足が止まったスキを突かれて失点。7分後に森脇の退場で10人に。ここから一人ひとりがギアを一段上げて果敢に攻めた。J1でも最強であろう川崎のカウンターは承知の上。

リスクを負ってDFが攻め上がり、速いパス交換から1トップの佐藤寿人を走らせてゴールに迫った。10人が11人を慌てさせた。後半6失点の数字だけを見れば、無謀な惨敗と言えるかもしれない。不利な状況を考えれば、さらなる失点は命取り。むしろ守りを固めて逆襲に徹するのが普通だ。

広島は勇気を持って攻め、何かを起こそうとした。もともと相手の鼻先でパスを回す攻撃的なスタイル。選手に無謀な攻撃という意識はない。自らのやり方を貫くことで逆転勝利の道を探ったまで。優勝争いに残るためにリスクを冒す価値がある試合であることも、守り倒すようなマネができないことも計算済みだった。

試合後、ペトロビッチ監督は穏やかな表情で選手を迎えた。
「守って0-1で負けて良かったと思うよりも、大敗した方が学べる。痛い敗戦だがこれで死ぬわけじゃない。これが我々のスタイルだ」
彼と同じように「攻撃こそサッカーなのだ」と説いたオランダのスーパースター、ヨハン・クライフは「美しく敗れることは恥ではない。守って無様に1-0で勝つことが恥であり、それはサッカーではない」と説いた。

等々力まで足を運んだ広島サポーターは選手に拍手を送った。0-7で負けてもクラブに誇りを持てるサポーターは幸せだ。

 

この記事から7年。今のペトロビッチさんは、どうなんだろう。

 

教育をはじき返す野生の力

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前記事では、美智子妃の言葉 を紹介しました。

 

 引き続き、今回も

『 丘の上のバカ 〜 ぼくらの民主主義なんだぜ 2 』高橋源一郎 著)より。

 

わたしは、自虐教育が子供達の心を蝕んだというのは明らかに事実誤認だと考えている。なぜなら 子供達は「教師の話なんか聞いていないから」である。

それが自虐史観であろうと愛国教育だろうと、子供というのは、先生の話をマジメに聞いたりはしない。そういう話を先生がしていると「あぁ、早く退屈な授業が終わらないかなあ」と考えるものなのだ。

それでいいのだ、と思う。

大人達が躍起になって何かを教え込もうとしても、子供達は聞く耳を持たない。なぜなら、この世の中にはもっと楽しいことがあって、それは「授業が終わった後」「学校の外」に存在していることを、彼らはよく知っているからである

この「大人によって教えることのできない」子供達の性質を、鶴見俊輔さんは
「教育をはじき返す野生の力」と呼んだのである。

わたしには、なぜ百田さんが子供達を信頼できないかがわからないのである。百田さんにとって子供とは、外から教育されるとすぐそれを信じてしまう「おバカちゃん」であるようだ。それは子供達に対して失礼なことだ、とわたしは思う。

安倍さんや百田さんやわたしが束になって立派なことを教えようとしても、子供達は、やはりつまらないと感じるだろう。わたしにとって、希望 とはそのことである。

トム・ソーヤーの物語は、アメリカ文学にとって永遠の名作、アメリカ人たちが必ず戻る故郷となった。それは、彼らが 教育によって変えることのできない魂 の象徴だったからである。

 

『 丘の上のバカ 』

このタイトルは、いうまでもなく、ビートルズの名曲( The fool on the hill )に由来するが、その「丘の上のバカ」とは、地動説の発見者、ガリレオ・ガリレイのことだとされている。世間の指弾を浴びながら、バカと罵られながら、彼は一つの真実にたどり着いた。そのエピソードを聞いたとき、わたしが思い浮かべたのは、異なった時代の、異なった「丘の上」にいた「バカ」ものたちのことだった。

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ハックルベリーフィンの冒険』は、アメリカでは聖書と並んでもっとも読まれてきた。そしてその主人公「ハック」は、仲間のトム・ソーヤーと同じく、どんな型にも染まらず、学校や社会や体制からははみ出す少年だった。世間や先生や親が喜ぶ「いい子」などではなく、勉強が嫌いで、イタズラが大好きな「バカ」ものだったのだ。

自由を求め、どんな批判にも屈することなく、ただひとりで世界に漕ぎ出してゆく「ハック」の姿こそ、アメリカ民主主義の背骨を支えるものだった。

またどこかに新しい「バカ」ものが現れるとするなら、彼らこそが、来るべき「民主主義」の担い手なのかもしれない。

 

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子供達は僕らの希望であり、未来そのもの。思惑を持った大人達が彼ら彼女らをいかに教育しようとしたって、きっと最後の最後ではじき返される。それでいい。

子供達が持つ「教育をはじき返す野生の力」を僕ら大人が信じ、守り、そしてそれを操作しようとする濁った大人達とは、まずは「こちら側」にいる僕らが、戦っていかなきゃならない。

サッカーだって一緒。教えようとしたってはじき返される。操作しようとしたって、ますますそっぽを向く。教えようとし過ぎるとますます下手になり、いずれはサッカーを嫌いになっていく。

サッカーは自由なスポーツということを彼らに伝え、本当の自由って何なのだろうということを、彼らが自ら見つけて掴む手助けをしていくこと。

そのためにも、まずは大人達がもっと自由にならないとね。

 

技術や戦術を教え込む前に、もっと大切なことがあるだろう、ということです。

 

honto.jp

 

美智子妃のことば

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皇后・美智子妃が、ある講演で読書について語った言葉を紹介します。

 

私が小学校に入る頃に戦争が始まりました。昭和16年(1941年)のことです。

四学年に進級する頃には戦況が悪くなり、生徒達はそれぞれに縁故を求め、または学校集団として、田舎に疎開していきました。
私の家では父と母が東京に残り、私は妹と弟と共に、母につられて海辺に、山に、住居を移し、三度目の疎開先で終戦を迎えました。

教科書以外にほとんど読む本のなかったこの時代に、たまに父が東京から持ってきてくれる本は、どんなに嬉しかったか。
ケストナーの「絶望」は、非常にかなしい詩でした。小さな男の子が、汗ばんだ手に1マルクを握って、パンとベーコンを買いに小走りに走っています。ふと気づくと、手のなかのお金がありません。街のショーウィンドーの灯はだんだんと消え、方々の店の戸が締まり始めます。
少年の両は、一日の仕事の疲れの中で、子供の帰りを待っています。その子が家の前まで来て、壁に顔を向け、じっと立っているのを知らずに。心配になった母親が捜しに出て、子供を見つけます。いったいどこにいたの、と尋ねられ、子供は激しく泣き出します。
「彼の苦しみは、母の愛より大きかった。二人はしょんぼりと家に入っていった」という言葉で終わっています。

この世界名作選には、この「絶望」の他にも、ロシアのソログーブという作家の「身体検査」という悲しい物語が入っています。貧しい家の子供が、学校で盗みの疑いをかけられ、ポケットや靴下、服の中まで調べられている最中に、別の所から盗難品が出てきて疑いが晴れるという物語で、この日帰宅した子供から一部始終を聞いた母親が、「何もいえないんだからね。大きくなったら、こんなことどころじゃない。この世にはいろんな事があるからね」と説く言葉がつけ加えられています。

思い出すと、戦争中にはとかく人々の志気を高めようと、勇ましい話が多かったように思うのですが、そうした中でこの文庫の編集者が、「絶望」やこの「身体検査」のような話を、何故ここに選んで載せたのか興味深いことです。

世界情勢の不安定であった1930年代、40年代に、子供達のために、広く世界の文学を読ませたいと願った編集者があったことは、当時これらの本を手にすることの出来た日本の子供達にとり、幸いなことでした。
この本を作った人々は、子供達が、まず美しいものにふれ、又、人間の悲しみ喜びに深く触れつつ、さまざまに物を思って過ごしてほしいと願ってくれたのでしょう。

当時私はまだ幼く、こうした編集者の願いを、どれだけ十分に受けとめていたかは分かりません。しかしえ、少なくとも、国が戦っていたあの暗い日々の最中に、これらの本は国境による区別なく、人々の生きる姿そのものを私に垣間見させ、自分とは異なる環境下にある人々に対する想像を引き起こしてくれました。

自分とは比較にならぬ多くの苦しみ、悲しみを経ている子供達の存在を思いますと、私は、自分の恵まれ、保護されていた子供時代に、なお悲しみはあったということを控えるべきかもしれません。しかしどのような生にも悲しみはあり、一人一人の子供の涙には、それなりの重さがあります。私が、自分の小さな悲しみの中で、本の中に喜びを見出せたことは恩恵でした。

そして最後にもう一つ、本への感謝を込めてつけ加えます。読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても。


朝日新聞出版・高橋源一郎
『 丘の上のバカ 〜 ぼくらの民主主義なんだぜ 2 』より

honto.jp

 

すずさんを巡る旅

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12月16日(金)の夜から19日(月)まで、ふらりと広島に行ってきた。
映画『この世界の片隅に』の舞台となった、広島の江波や呉の街をどうしても巡ってみたくて。

 

江波にも呉にも、映画に出てくる建物や街並みがまだそのまま残されてるところがとても多い。でもそれも当然のこと。なぜならこの作品は、あの時代の風景、街並み、そして人々の暮らしを、片渕須直監督が徹底的に取材してリアリティーにこだわり抜いて創り上げたものだから。この片渕監督の数年越しの執念が、僕らに『すずさん』のリアルを想像させてくれるのだ。

 

確かにアニメーションだしフィクションだから、登場人物が実在したわけではないしそこにいたわけではないのだけれど、でもこの映画のすごいところは、本当にあの時代、この場所に主人公すずさんがいたんだろうなって本気で思わせるくらい、徹底してリアリティーの再現にこだわっているところ。再現というか、限りなく正確に近い描写、というか。

実際、本当に『すずさんみたいな人』がたくさんいたんだろうな、というのは想像に難しくないわけで。

 

だからどうしても「すずさんがいた場所」「すずさんも見ていた風景」に実際に行きたくなってしまって、夜行バスに乗って広島へと行ってきたのです。

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1日目、まずはすずさんの実家がある江波に。広島から路面電車「広電」に乗り、海の近くにある終点の町が江波。駅を降りるとすぐにカモメの鳴き声が聞こえて、潮の香りも漂ってくる。あまり人は歩いていないけど、いかにも漁業の町という佇まい。すずさんの家は海苔を造っていたけれど、今の江波は歩けば歩くほど、ずっと牡蠣の香りがしていた。

 

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トンネルを抜けて左方面にずっと歩くと、すずさんの実家があった辺りに着く。
映画冒頭のシーン、すずさんが海苔を背負わせられてる海沿いのあの道を見つけて、この旅まず最初の聖地へ到着。ふぅ…
すずさんやすみちゃんがいたあの情景が浮かんでくる。すでに少し、感慨に耽るわたし。

 

さらに
すずさんが船に乗せてもらった船着場と、毎日通った松下商店。

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この松下商店は本当にそのまま。子供の頃はこの前をすみちゃんと笑いながら走って学校に通い、大人になってからは、お兄ちゃんの骨を抱いて、家族で歩いた。

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そして水原哲との思い出の場所である、江波山も。江波山、グッと来たな…

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江波山頂上にある気象台は、映画にも映ってますね。すずさんがお母ちゃんに鉛筆代の二銭ねだるシーン。

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海苔を背負って砂利船に乗せてもらったすずさんが降りた原爆ドーム付近の雁木はそのまま残っていたし(ここ以外にも、雁木が至る所にあった。水上の交通が盛んだったことが伺えます)

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すずさんがしばし佇んでいた大正呉服店は、今は観光案内所を兼ねたレストハウスになっている。平和記念公園を訪れたことがある人ならば、この建物のことはきっと知っているでしょう。

 

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人さらいのオッさんに会った相生橋。周作との出会いの場、でもある。

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2日目は、すずさんが18歳で嫁いで行った呉へ。
東洋一の軍港と言われた呉港と、それを見下ろす灰ヶ峰が象徴的な町。広島から呉線に乗り、映画にも出てきたいくつもの駅を通り過ぎて、気づいたら海沿いに出ていた。お嫁に行く日にすずさんも電車の中から見ていたのと同じ、あの海の景色が見えてくる。

 

そして呉の駅を降りたら、真正面にそびえ立つのが灰ヶ峰

呉駅から蔵本通りを15分くらい歩き、もう一つの大通りである今西通りとぶつかる辺りから、途端に景色が変わる。すずさんが砂糖を買いに出かけた闇市があった辺りも。

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砂糖の価格があまりに高いことに驚いたすずさんが、買うか買わないか「かーきーのーたーね」と地面にしゃがみこんで迷うシーン、超〜大好き。

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そして大通りを渡り、すずさんが闇市の帰りに迷い込みリンさんと出会った朝日町遊郭の跡地。そこからもう少し登り歩けば、すずさんが買い物に出かける時に毎日通っていた「三ッ蔵」が、急に現れる。

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すずさんの毎日の象徴的な場所でもあるから、この三ッ蔵を見た時は結構感動したなぁ。

 

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すずさんが歩いた道。

 

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リンさんと出会った日、帰りを急ぎ走り出す道。

 

三ッ蔵を過ぎてさらに進むと、どんどん街並みが古くなっていく。まるで戦前にタイムスリップしたような古い民家の間をクネクネ続く細い坂道。
そこを延々と登り続け、呉の象徴である灰ヶ峰の途中にある北条家のところにようやく辿り着いた!
間違いなくこの家が北条家のモデルだろう。でもさすがに人様の家を載せるのはどうかと思うのでここでは写真は載せないけれど、ここですずさんが生活していた、と思うとそれだけで、もう万感の思い。

 

呉駅から歩いて1時間くらい。この道を登るのは相当に体力が要るわ…
お嫁入りする日、坂を登ってようやく北条家に着いた時にすずさんをはじめ家族の皆が「やっと着いたぁ」て感じでハァハァと息を切らしていたけれど、本当にそれ。冬なのに汗ダクダクになって、めっちゃ疲れたよ…

 

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すずさんの家から見える、呉の町と港。すずさんも毎日見ていたであろうこの景色は、映画で観た風景と全く同じもの。この場所で僕はしばしの間、感慨で胸がいっぱいになって動けなかった。いや、動きたくなかった。

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家の前や裏にある段々畑も、本当に残ってる。段々畑はこの映画を彩る大事なファクターだから、これまたしばしタイムスリップ。すずさんが憲兵に捕まった畑、周作さんが通っていたであろう、畑の下にある細い道。すずさんと周作さんがずっこけて落ちた道でもある。空襲に遭った時にお義父さんが助けてくれた場所でもあり、晴美さんと二人で海を眺めて船を探してたのも、この畑。

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すずさんが下手くそすぎる化粧で顔を真っ白にして周作に帳面を届けた海軍鎮守府(今は自衛隊集会所になってる)や、
晴美ちゃんと手を繋いで登った病院の階段にも行った。

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あらゆる『聖地』を巡った後、東京に帰る前に広島でもう一度映画を観た。
八丁堀にある、サロンシネマという映画館。ちょうどこのサロンシネマがある辺りの前で、すずさんは福屋や路面電車をスケッチしてる。

 

サロンシネマはお座敷席もあって、いかにも昔の「シネマ」といった風情。ラッキーなことにお座敷席に座れてのんびりと観れたけど、東京で観る以上に、周りは年配の方が多かった。そこでそんなに笑うんか!というところで、みんなゲラゲラ笑ってたりして、何だか幸せな心地だったな。
案の定、後半からは、笑い声がすすり泣きの音に変わったけれど…

エンドロールも全て終わった後、僕の隣で観ていたお爺さんが、とても満足そうな顔をされて、胸の前で小さく拍手をしていた。

 

広島の地で映画を観たら、広島に来る前とはまた違う感情が湧き上がってきた。

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当然、平和記念公園にも行った。資料館も入った。自身3回目の資料館だ。

この平和記念資料館には、ボランティアの人の話を真剣に聞く外国人旅行者がたくさんいた。

ここは平和の象徴の場所なんですよね。国籍問わず、広島は平和を願う人々が集う象徴の場所なんだろうと思った。

 

この世界の片隅に。まだ観ていない人は、絶対に観に行ったほうがいい。100年語り継がれるであろう、日本映画史上に残る名作。愛おしくてかわいいすずさんに、会いに行って下さい。

 

居場所の物語 〜 この世界の片隅に・最後の考察

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このコラムだけでなくいろんな媒体で何回も書いているけれど、11月から、映画「この世界の片隅に」に完全にハマってます。

 

 

実はこれまで、すでに8回も観に行ってしまった。自身の人生で、同じ映画をこんなに何回も観に行くなんてもちろん初めて。

12月には、とうとう舞台である広島にも行って来た。物語に出てくる江波や呉を歩き倒し、実際にまだ残っているロケ地を巡って歩いた。

 

このコラムでも2回「この世界の片隅に」を自分なりに考察したけれど、今回は新たに感じた部分を加えました。ネタバレもありありですので、あくまでも自己責任でご覧下さいませ。

すでに映画を観た人ならば「あぁ…っ!」てなってくれるとこ、多いと思うけど…


はてさて、どうじゃろか。

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すずさんは背中で語る。
・子供の頃、中島本町をワクワクしながら歩く背中
・江波山で、水原を見つめる背中
・広島が恋しくなり、段々畑で小さく座る背中
・会いに来てくれた水原を、もう会えないかもと思いながら見送る背中
・周作に助けられ、側溝の中で感情を閉ざし、へたり込む背中

小さく丸まったすずさんの背中を思い出すだけで、もう泣けてしまう。。

 

16歳の時、広島の街でアサリを売りながら、すごく短くなっている青い鉛筆で絵を描いている。あの時、江波山で水原からもらった青い鉛筆。きっと、ずっと大切に使っていたのだろう。

 

「うちは、よう ぼーっとした子じゃぁ言われとって」
子どもの頃、あんなにほんわか、のほほんとしていたすずさんは、周りに流されるまま嫁に行かされ、まだ子どものままでいたいのに、いつの間にか大人にされ、時代の波に揺られ続ける。それでもすずさんは、明るく日常を紡いでいく。

 

「姿が見えなくなれば、言葉は届かん」(すずさん)きっと、水原に自分の想いを言えなかった後悔もあったのだろう。
電車の中で周作に怒るすずさん。頭巾を外してる。これから本音を話すという表れ。
対する周作は、旗色が悪く言い訳もするので、ヘルメットを深くかぶる。

 

戦争によって大切な人やものを失い続けながらも、明るく生きていくすずさん。

しかし自身の「ある部分」を失ってからその感情に変化が表れ、自身のこれまでと、今と…の間で葛藤し、だんだんと心を歪めていく。
家の中に落ちて燃えている焼夷弾を睨んで涙を流し、感情のまま炎に飛びつく。自らの歪んだ心を必死に消そうとしているようで、このシーンを観るのは本当につらい。

 

空襲に遭った時、海から逃げてきたサギを見つけ「ここに来ちゃいかん、あっちへ逃げ!あの山を越えたら広島じゃ!」とサギを追いかける。
サギは水原との思い出の象徴。江波、羽根ペン…
この空襲があった日、軍艦・青葉は米軍の攻撃で海に沈んでいる(これは史実に基づいている)つまりこの日、水原は…

 

子どもの頃、船に揺られてあんなに嬉しそうにふわふわと川に浮かんでいたすずさんが、
大人になり大事なものを失い、この空襲に撃たれる寸前で周作に助けられ、側溝の中に落ち、水の上にへたり込みながら、とうとう心を壊して周作に対しても感情を閉ざす。

同じ水の上。この残酷なコントラスト。この時のすずさんの小さな背中を見て、僕はいつも号泣してしまう。

 

あのサギは、水原が最後にもう一度、すずさんを迎えに来たということだったのでは。それをすずさんも感じとって、引き止める周作に対して強情に「広島に帰る!」と言い張ったのだろうか。

 

径子さんの言葉と、周りの優しさ。自身の中でようやく居場所を取り戻し、北条家に留まる決心をしたすずさん。しかし終戦の日、その感情を爆発させる。
この国は正義だと思っていたのに。そんなものなのだと思っていたことが、だから我慢していたことが…全て飛び去っていく虚しさ。


自分達は暴力に屈していたことを知り、そしてそれは知らないうちに自分もその暴力に加担していたのと同じことなのだと悟り、今度もまた、他国の暴力に屈するのかと。

「何も考えんと、ぼーっとしたままのうちで死にたかったなぁ…」と、号泣するすずさん。

 

終戦の夜、とっておいた白米を炊いてみんなで食べる時、径子さんだけは食べようとしない。晴美ちゃんのことを思ってたんだろう。

 

原爆の後、お母ちゃんを探しに行った妹すみちゃんとお父ちゃん。そこでいわゆる「入市被曝」をしてしまい、お父ちゃんは死に、妹のすみちゃんは病に伏してしまう。
すみちゃんを見舞いに行った時、一緒に寝転びながら天井を眺め、子供の頃を思い出し、お兄ちゃんの南洋冒険記を楽しそうに想像して話す。この時のすずさんは、子供の頃の話し方に戻ってる。
きっとすみちゃんと一緒にいる時は、子供の頃に戻れる時間だったんだろう。

この2人のシーンは劇中に何度か登場するけれど、どこもすごく好き。すみちゃんが病気から回復して、その後すずさんと一緒に幸せな人生を歩んでいてほしい、と心から願わずにはいられないのだ。

 

原爆で母を失い、5ヶ月もたった一人で街を放浪していた孤児・ヨーコ(映画では名前は出ないが、ノベライズ本ではヨーコと記されてる)
ヨーコのお母さんは、原爆でガラスの破片がたくさん刺さり右手を失っていた。

広島駅でたまたま周作とすずさんに出くわし、すずさんが落とした海苔巻き(江波巻き)を拾う。お腹が空いて食べたくて仕方ないはずなのに、すずさんに自身の母を投影して、その海苔巻きを返そうとするヨーコ。このシーンで泣かない人はいないだろう。
「えぇよ、食べんさい」と優しく言うすずさんの声、この時のすずさんの話し方は、すっかりお母さんのようになってる。

 

周作におぶられながら、ずっとすずさんの右腕を離さないヨーコ。

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これは「居場所」の物語

・嫁入りの日「よろしくね、すずさん」とお母さんに優しく言われた時の、嬉しそうな顔。
・風呂に入ってる時の、すずさんの幸せそうな顔。それで僕らはホッとする。
・おつかい(街に行くこと)が好きだったすずさん。これも居場所。
・径子さんが料理を全てやってしまって居場所を見出せず、塞ぎ込んでいるすずさん。
・自分が料理をやれる時の、張り切るすずさん。
・「わしは必ず帰って来るけぇの、すずさんのとこへ」と周作さんに言われた時の、嬉しそうなすずさんの顔。周作さんの居場所になれた、と思えたんじゃないだろうか。

・死んでいった人達の居場所に自分がなる、と決めたすずさん。
「うちはずっと、笑顔の入れ物なんです」
・孤児を見つけてあげて、その子の居場所をつくってあげたすずさん

 

幸せとは…この世界の片隅にでも、ほんの少しでも居場所があることなんだ。

居場所がないから人は悲しみ
居場所がないのだと絶望して人は死ぬ。
居場所を見つけて喜び、居場所があるから安堵し、居場所があるから希望を持つ。

 

人の居場所を作ってあげる人になる。自らが、人の居場所になってあげられる人になりたい。この作品を観て、心からそう思えるようになった。

 

居場所って人間の本質。幸せそのものなんだろう。だからこそこの映画は何とも説明しがたい感動を得られ、万感の想いを抱かせてくれるのではないか。

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この映画は、リピーターがとても多いという。僕もすでに8回観に行た。たぶんこれからも行く。
きっとすずさんの気持ちを理解してあげたくて、何回も観に行ってしまうのだろう。

 

すずさん、あなたの人生は幸せなんだよって言ってあげたくて、僕らが理解者になってあげたい、そんな衝動に駆られて、何回もすずさんに会いに行ってしまう。

そう、これは観に行くのではなく、会いに行く作品なんだ。

 

まだ観ていない方。いや、まだすずさんに会いに行ってない方は、ぜひ、本当にぜひ。
一度、すずさん会いに行ってみて下さい。

 

この世界の片隅に聖地巡礼編 へ続く。