Neutral football

現実の殻を破る。フットボールと社会をつなぐ

言葉は言葉を呼んで、翼を持って、この部屋を飛び回ったんです

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1969年、三島由紀夫が自決する1年前。三島がひとりで東大駒場キャンパスに乗り込んで、東大全共闘の学生達1000人と対峙したという伝説の討論会が、映画になったらしい。
(3月20日公開)

そこで、改めて三島由紀夫に興味を持った。

 

youtu.be

この動画はその討論会の特集もの。この時の放送を文字に起こした記事もあるので、できれば動画と記事、両方を観て、読んでほしいと思います。

note.com

 

美しい。僕は素直にそう思った。動画を観た後に文字を読むと、そこで交わされていた言霊の応酬が、なおさら美しいと感じたのです。

 

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三島由紀夫が抱き、掲げ、最期は命をかけてまで成し遂げようとしたその思想と僕の考えは真逆のものだけれど、それでも、この人の言うことは、絶対に信用できる。


三島は本物の哲学者であり思想家であり、活動家だった。

三島の話す姿、その言葉、表現方法、生き様。これは絶対に信用できるものだ。

 

この人の話なら、いつまでも聴いていたい。

聞きたいんじゃない。聴いていたい。


そう思わせてくれるほど、三島が紡ぎ出す言葉の美しさと丁寧さ、そして危険さ。

 

東大全共闘の学生達との討論も、学生達を罵るわけでもなく、上から目線でもなく、学生達をリスペクトしながら話す三島の姿は本当に美しく、立派で、尊敬すべき姿だった。

 

「私はどうしても日本の知識人というものが、思想というものに力があって、知識というものに力があって、それだけで人間の上に君臨しているという形が嫌いで嫌いでたまらなかった」

 

全学連の諸君がやったことの全部は肯定しないけれども、ある日本の大正教養主義からきたの知識人のうぬぼれというものの鼻を叩き割ったという功績は、絶対に認めます」

 

これ言われたら、たとえ意見がぶつかり合う同士でも、間違いなく心は惹かれてしまうよね。

現にこの討論会の後、東大全共闘の学生達の間で三島ファンが増えたそう。

 

三島と対峙した、東大全共闘の中でも屈指の論客と言われた芥正彦。

 

三島と芥、この天才同士が交わす言葉は正直言って僕ら凡人にはついていけないほどに抽象性と具体性が織りなす高レベルな議論なのだけれど、ヒリヒリする緊張感の中で、お互いがお互いを尊重しながら交わす言霊。聴いていて、つい惹き込まれてしまうのは僕だけじゃないはずだ。

 

その芥正彦氏がこの日を思い出しながら話す三島の印象が、また美しい。

「まるでアンドロメダが見えそうなくらい、空虚な目をぎっとこっちに向けて、一瞬か二瞬くらいですよね。なんでこんなに緊張しているんだっていう、今にも殺されそうな」

 

かつてぶつかり合った人のことを表現するのに「アンドロメダが⋯」なんて

年老いても、美しい感性は変わらないものなんですね。

 

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討論会の最後、三島が学生達に向けて話した言葉。

「言葉は言葉を呼んで、翼を持って、この部屋を飛び回ったんです。この言霊がどこかにどんな風に残るか知りませんが、その言葉を、言霊を、とにかくここに残して私は去っていきます。これは問題提起に過ぎない」

 

「私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。他のものは一切信じないとしても、これだけは信じるということを分かっていただきたい」

 

カッコよすぎないか?

 

芥正彦氏も「対決を装いながら、一つの親和性をもって対話できた」と振り返る。

 

今はSNSなどでお互いを罵倒し合い、議論でもない、対話でもない、ただの人格の否定にまで持ち込んで、とにかく相手をやっつけようとする。そんな悲しい世相になってしまった。

0か100か、論破するか、はぐらかすか、みたいな空虚な殴り合い。議論も対話もできない日本人の成れの果てが、今まさに分断を起こしている。

 

「大変愉快な経験であった」(三島由紀夫

「人間が人間を考える最後の時代だった」(芥正彦)

 

この一年後、三島は自衛隊市谷駐屯地に乗り込み、自衛隊員にクーデター蜂起を呼びかけるも叶わず、その場で切腹をし、介添した森田必勝により首を斬り落とされて死ぬ。

いろんな文献を読めば、クーデターを成功しようが失敗しようが、最初から自決するつもりでいたらしいのだけれど。

 

胴体から斬り落とされた三島の首から上だけの写真を、僕は子供の頃に見たことがある。たぶんフライデーか何か。あの衝撃は今でも強烈に残っている。

なぜかとても、穏やかな表情だった。きっと、無念よりも嬉しさがあったのだろうか。

 

そこまでして三島が願っていた、日本のあるべき姿。

それは僕には想像もつかないしそこは絶対に同意はできない思想なのだけれど、それでも、この人にはやっぱり生き続けてほしかった。

もし今も生きていたら、きっと「安倍など親米の似非保守。国賊だ」なんて言って、叩き切っていたんじゃないかな。

もちろん、安倍などは三島の相手にもならないほどに、小物すぎるのだけれど。

 

三島由紀夫

今の時代にこそ、生きていてほしかった人なのに。

 

「三島さんは、自分の運命を決定しなきゃいけないみたいなものがあった」(芥正彦)

 

あぁでも、やっぱり生きていなくてよかったと思う。生きていたら、絶対に心酔して陶酔して、なんなら三島の運動に参加してしまうほどだったかもしれない。

そしたら自分の人生が大きく変わってしまうじゃないか。

 

先日放送されたこの番組の中でも紹介されていて、太田光又吉直樹三島由紀夫のことを語り合ってます。こちらも、是非。

 

youtu.be

 

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武道の間合いと呼吸でイニエスタを育てる

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Football ‪EDGE 久保田コラム「日本語のサッカー指導で世界をひっくり返す」の最新版がupされました。

‪‪http://www.footballedge.jp/archives/7156


間合い、駆け引きの原理とは。‬


‪武道から学び、日本の中で勝負の極意を共有できたらという話です。‬


‪先日のスーパーカップで魅せたイニエスタのアシストも、武道の基本に倣って分解してみました。‬‪

イニエスタ、前世は日本人で武道の師範代やってた説。‬

 

宜しければ、ご一読下さい。

「拘りと貫き」がもたらしたもの

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(画像は NHK  NEWS  WEB から)

 

1月11日の夜に行われた、うちのクラブのU-13リーグ。

こちらの想定以上に選手たちの試合の入りが素晴らしく、マインドやテクニックの使い方も素晴らしいもので、技巧派の相手に対し真っ向から対峙して勝ち切ったゲームだった。

adlibler.hatenadiary.jp


ブログにも書いた通り、こちらから何かハッパをかけたり檄を飛ばしたりしたわけではないのだけれど

少しだけ

実はこの試合前に、車の中で彼らと一緒に観てた高校サッカー準決勝、静学について話をした。

 

ペナ幅に11人全部が入るほどに真ん中をガッチリ固めた矢板中央の守備(これはこれで美しかった)をなかなか崩せず、後半終了間際まで0-0。

でも静学は急いでロングボールやクロスを上げることもなく、ひたすらドリブルと局面の崩しに拘って、パスコースがないならば「ヒョいっと」浮かして狭い相手の間の空中を通そうとしてまでも「崩す」ことを貫き通した。

 

その拘りを捨てなかったことが、アディショナルタイムでのPK獲得に繋がった。

 


静岡学園vs矢板中央

 

全国高校サッカー準決勝のアディショナルタイム。全国放送もされていて、大観衆の中。このプレーが終われば試合終了でPK戦になる。

あの状況で、レフェリーもなかなかPKの笛を吹けないですよ。

でも、あの松村君がみせた渾身のドリブル。矢板中央の選手も足を出すしかなかった。そこに引っかかっての転倒。そのまま流してもきっと誰も文句は言わなかったと思うけれど、レフェリーは笛を吹いた。

 

勝手な想像だけど、きっと「吹かずにはいられなかった」んじゃないかって思うんです。

 

愚直でひたむきなプレーやマインド、ハート、人を魅了するテクニック、その拘り。

それはきっと人の心を動かす。あの時あの瞬間、あのドリブルと、そしてそれまでに静学がずっと繰り返し貫き通した姿も重なって、あのレフェリーの心を動かした。

僕は、そう思います。もちろんあのレフェリーの方は「ルールに基づいて吹いただけです」と言われるのかもしれないけれど、少なくとも僕はそう感じて、試合前のうちの選手たちにも、そんな話をした。

 

貫くことが、人の心を動かすんだと。

 

2日後の決勝戦、同時刻にまたリーグ戦だったからリアルタイムでは観れなかったけれど、王者・青森山田に対して0-2からの大逆転優勝。この決勝戦も、あの「貫く拘り」が青森山田の選手たちの屈強な盾を、揺り動かし最終的に破壊させたのだと思う。

そしてこれは言うまでもないのだが、静学はその拘りを最大限活かすために、守備への切り替えやフィジカル面でもハイレベルな準備をしていたこその、優勝だった。

 


青森山田vs静岡学園


自分で言うのも何だけど、指導者としての「拘り」を、ずっと持ちながら選手たちと接してきた。

 

・・・

つもりだった。

 

でもここ数年、思うところあって自分は「拘り」という言葉を使うのを少し敬遠するようになっていた。

「拘り」って聞こえはいいけど、それ、一歩間違えれば指導者の好みの押しつけだし、実際そんな中途半端な人が周りにもたくさんいるじゃんかと。そんな人たちと一緒にされたくないよ、って。

今思えば、かなりカッコ悪い。

 

指導者の好みはひとまず心にしまって、育成年代の選手にはあらゆることをアベレージ高く教えなきゃ無責任じゃないか、とも思ってた。

もちろんそれはその通りなんだけど

でも

ここ1〜2年、特にこの1年の間、自分の考えがグルっと一周して、拘ることの大事さ、そしてそれを公言することの大事さを、強烈に痛感している自分がいるんです。

 

もちろん、サッカーに必要なことを教えることは絶対に大事。でも、それと並行して何か一つ「他とは違う強烈なスペシャル」に対し拘りを持ち、そのスペシャルを選手たちが誇りに思い、自信を持って「勝つための方法」として表現していくこと。

それを美しいと思う感性が、僕はやっぱり捨てられなかった。

 

好みなんて生半可なものじゃない、強烈な拘りを持ち、それを選手たちに「自分らの誇り」として伝えられる指導者が、名指導者なのだと思う。

あの方も、あの方もそうだ。

 

こういうこと言うと最近は『ロマン派』などと嘲笑されたりもするのだけれど、人間、ロマンと理想を捨てたらおしまいじゃないか。

 

そしてそれは、決してサッカーに限ったことじゃない。

そんなことも、選手たちにはテクニックや戦術と並行しながら毎日伝えていきたいし、口だけでなく、身をもって伝えられる人になりたいと思ってる。

 

「じゃぁ、お前が拘ってることって何やねん」

と言われると思うので、次回、自分の拘りについて書こうと思います。

ローマ教皇の言葉

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来日したローマ教皇が、離日する直前、最後に上智大学の学生達に語った言葉がとても素敵で、優しくて、尊いものだったので、ここでシェアします。

 

新自由主義が蔓延り、競争に追われ、弱者を嗤う者が増え、総理大臣を筆頭に政治家は平然と嘘をつき、けれどそんな権威に平気で従属する者、どうせ…と、諦めてしまった多くの人。

 

そんな事なかれ主義に浸かってしまっている多くの日本人は、このフランシスコ教皇の言葉を襟を正して聴くべきだ。心で聴いて、必ずどこかに残っているであろう理性で考えてほしい。

 

心に響いたいくつかの部分を抜粋します。

 

この大学の学生の中に、何が最善なのかということを意識的に理解したうえで、責任をもって自由に選択するすべを習得せずに卒業する人がいてはなりません。

 

若者たちが単に準備された教育の受け手となるのではなく、若者たち自身もその教育の一翼を担い、自分たちのアイデアを提供し、未来のための展望や希望を分かち合うことに注力すべきです。

 

それぞれの状況において、たとえそれがどんなに複雑なものであったとしても、己の行動においては、公正で人間的であり、手本となるような責任あることに関心をもつ者となってください。

 

そして、決然と弱者を擁護する者と、ことばと行動が偽りや欺瞞であることが少なくないこの時代にあって、まさに必要とされるそうした誠実さにおいて知られる者となってください。

 

真正な人間性とは、閉じた扉の下からそっと入り込む霧のように、ほとんど気づかれないながらも、新たな総合へと招きつつ、テクノロジー文化の只中に住まっているようです。

真正なものの粘り強い抵抗が生まれるのですから、いろいろなことがあったとしても、期待し続けることはできるのではないでしょうか。

 

常に「弱者に寄り添う側であること」

これを、僕も忘れないでいたいと思う。

 

ローマ教皇の講話(上智大学YouTube

https://youtu.be/82iNNjeca1I

 

ローマ教皇のメッセージ日本語訳・全文

バチカン市国HPより)

↓↓

愛する兄弟姉妹の皆さん。

 わたしの教皇としての日本司牧訪問の最後に、貴国を発ってローマに戻る前の少しの時間を皆さんとともに過ごせることを大変うれしく思います。

 

この国での滞在は短いものでしたが、大変密度の濃いものでした。神と、日本のすべての人々に、この国を訪れる機会をいただいたことを感謝します。

日本は、聖フランシスコ・ザビエルの人生に多大な影響を与えた国であり、多くの殉教者がキリスト教信仰をあかしした国です。キリスト教信者は少数派ですが、存在感があります。わたし自身、カトリック教会に対して一般市民がもつ好意的評価を目にしましたが、こうした互いの敬意が、将来において深まっていくことを期待します。

また、日本社会は効率性と秩序によって特徴づけられていますが、一方で、何かそれ以上のものを望み、探しているように見受けられます。よりいっそう人間らしく、もっと思いやりのある、もっといつくしみに満ちた社会を創り出したいという熱い望みを感じます。

 

学問と思索は、すべての文化にあるものですが、皆さんの日本文化はこの点において、長い歴史にはぐくまれた豊かな遺産として誇るべきものです。日本はアジア全体としての思想とさまざまな宗教を融合し、独自の明確なアイデンティティをもつ文化を創り出すことができました。

聖フランシスコ・ザビエルが深く感銘を受けた足利学校は、さまざまな見聞から得られる知識を吸収し伝播するという日本文化の力を示す好例です。

 

学問、思索、研究にあたる教育機関は、現代文化においても重要な役割を果たし続けています。それゆえ、よりよい未来のために、その自主性と自由を保ち続けることが必要です。大学が未来の指導者を教育する中心的な場であり続けるとしたら、そこでは、及ぶかぎり広い範囲における知識と文化が、教育機関のあらゆる側面が、いっそう包摂的で、機会と社会進出の可能性を創出するものになるような着想を与えるものでなければなりません。

 

 ソフィア(上智

人間は自らの資質を建設的かつ効率的に管理するために、真のソフィア、真の叡智なるものをつねに必要としてきました。あまりにも競争と技術革新に方向づけられた社会において、この大学は単に知的教育の場であるだけでなく、よりよい社会と希望にあふれた未来を形成していくための場となるべきです。

 

そして、回勅『ラウダート・シ』の精神で、自然への愛についても加えたいと思います。

自然への愛は、アジアの文化に特徴的なものです。ここに、わたしたちの共通の家である地球の保護に向けられる、知的かつ先見的な懸念を表現すべきでしょう。その懸念は、技術主義(テクノクラティックパラダイム)の一部である還元主義的な企て全体を掘り下げ、疑問視できる、新たなエピステーメーの促進と結びつきうるものです(同106-114参照)

 

見失わないでください。

「真正な人間性とは、閉じた扉の下からそっと入り込む霧のように、ほとんど気づかれないながらも、新たな総合へと招きつつ、テクノロジー文化の只中に住まっているようです。真正なものの粘り強い抵抗が生まれるのですから、いろいろなことがあったとしても、期待し続けることはできるのではないでしょうか」(同112)

 

 上智大学はつねにヒューマニズム的、キリスト教的、国際的というアイデンティティによって知られてきました。創立当初から、さまざまな国の出身の教師の存在によって豊かにされてきました。時には対立関係にある国々からの出身者さえいました。しかしながら、すべての教師たちが、日本の若者たちに最高のものを与えたいという願いによって結ばれていたのです。まさにこれと同じ精神が、皆さんが日本と国外で、もっとも困っている人々を支援しているさまざまなかたちの中に脈々と続いています。

 

皆さんの大学のアイデンティティのこのような側面がいっそう強化され、今日のテクノロジーの大いなる進歩が、より人間的かつより公正で、環境に責任ある教育に役立つものとなると確信しています。

上智大学が礎を置く聖イグナチオの伝統に基づき、教員と学生が等しく思索と識別の力を深めていく環境を作り出すよう、推進していかなければなりません。この大学の学生の中に、何が最善なのかということを意識的に理解したうえで、責任をもって自由に選択するすべを習得せずに卒業する人がいてはなりません。

 

それぞれの状況において、たとえそれがどんなに複雑なものであったとしても、己の行動においては、公正で人間的であり、手本となるような責任あることに関心をもつ者となってください。

そして、決然と弱者を擁護する者と、ことばと行動が偽りや欺瞞であることが少なくないこの時代にあって、まさに必要とされるそうした誠実さにおいて知られる者となってください。

 

 イエズス会が計画した「使徒の世界的優先課題」は、若者に寄り添うことが、世界中で重要な現実であることを明確にし、イエズス会のすべての教育機関が、こうした同伴を促進すべきとしています。

 

若者をテーマとしたシノドス(世界代表司教会議)と関連文書が示しているように、教会全体が、世界中の若者たちを、希望と関心をもって見つめています。

皆さんの大学全体で、若者たちが単に準備された教育の受け手となるのではなく、若者たち自身もその教育の一翼を担い、自分たちのアイデアを提供し、未来のための展望や希望を分かち合うことに注力すべきです。皆さんの大学が、このような相互のやり取りのモデルを示し、そこから生み出される豊かさと活力によって知られる存在となりますように。

 

 上智大学キリスト教ヒューマニズムの伝統は、すでに述べたもう一つの優先事項と完全に一致します。すなわち、現代世界において貧しい人や隅に追いやられた人とともに歩むことです。自らの使命に基軸を置く上智大学は、社会的にも文化的にも異なると考えられているものをつなぎ合わせる場となることにつねに開かれているべきです。そうすれば、格差を縮め、隔たりを減らすことに寄与する教育スタイルを推進しうる状況を追求しつつ、隅に追いやられた人々が大学のカリキュラムに創造的に巻き込まれ、組み入れられるでしょう。

 

良質な大学での勉学は、ごく少数の人の特権とされるのではなく、公正と共通善に奉仕する者という自覚がそこに伴われるべきです。それは、各自が働くよう課された分野で、めいめいが果たす奉仕なのです。わたしたち全員にとっての大義であり、ペトロがパウロに与えた今日でも明白な助言です。「貧しい人たちのことを忘れてはいけません」(ガラテヤ2・10参照)

 

 上智大学の愛する若者、愛する教員、愛する職員の皆さん。このようなわたしの考えと、今日のわたしたちの集いが、皆さんの人生とこの学びやの今後において実を結びますように。

主なる神とその教会は、皆さんが神の叡智を求め、見いだし、広め、今日の社会に喜びと希望をもたらす、その使命に加わるよう期待しています。どうぞ、わたしのため、そしてわたしたちの助けを必要としているすべての人のために、祈ることを忘れないでください。

 

 最後に、いよいよこうして日本を離れるに際し、皆さんに感謝します。そして皆さんを通して、すべての日本の人に、わたしの訪問中にくださった心のこもった温かい歓迎に感謝いたします。わたしの胸の中に、祈りの中に、皆さんがおられることを約束します。

教科書には載っていないことでした

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こんなコーチになりたいと、ずっと思ってる。

 

子ども達にはサッカーを通じて関わっているけれど、将来あの子達が大人になった時に

「人として大切なことはあの人に教わった」と言われたいし

 

普段、自分は子ども達に対しサッカーのイロハや戦術などを決して教え込まないけれど、でも

「サッカーのことは、あの人に全部教わったよね」と言われたい。

 

5年前に亡くなった僕の父はとても寡黙な人で、僕に対し多くを語らなかった。

でも僕は、大切なことは全てあの人に教わったと心から思ってる。

 

いつしか、そんなコーチになりたい。

コラム掲載

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Football EDGE

ジュニアサッカーを応援しよう

Football Coaching Laboratory

 

上記の媒体に、久保田によるコラムが掲載されています。

宜しければ、お読み下さい。


「Football EDGE」
《日本語でのサッカー指導で世界をひっくり返す(3)》

「サッカーにおける、見ると観る、眺めるの違い」
http://www.footballedge.jp/archives/7116

 

「ジュニアサッカーを応援しよう」
サッカーに必要なのは「速さ」ではなく「早さ」?言葉の使い方ひとつで指導が変わる
https://jr-soccer.jp/2019/11/15/post117261/

 

「Football Coaching Laboratory」
サッカーは、喜ぶためにやってるんだぜ
https://fcl-education.com/raising/sportsmanship/soccer-joy/

FCLにコラム掲載 〜 戦術を語る前に vol.2

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Football Coaching laboratory に、久保田によるコラムが掲載されました。

 

昨年「戦術を語る前に」というコラムを書いて結構な勢いで炎上したのですが、自分の中では、その続編という位置づけでもいます。

 

よろしければ、お読み下さい。

「戦術を語る前に、指導者が目を向け考えるべきこと」

https://fcl-education.com/raising/sportsmanship/coach/

 

過去記事「戦術を語る前に」

neutralfootball.hatenablog.com

 

http://neutralfootball.hatenablog.com/entry/2018/10/17/151406